ーー俺と付き合って良かった、と。幸子を満足させる力が……
俺には無かった。
眼鏡をずらし、目頭を押さえる。
そうしなければ涙が溢れ落ちそうな気配がした。
気持ちが落ち着くまで館内で座り込み、そろそろ外へ出ようと顔を上げた時。
前方から向けられる怪訝な視線に気が付いた。
ーーやべっ。
慌てて顔を隠すが、どこか見覚えのあるその女性の雰囲気に、僕も同じく眉をひそめた。
彼女はサングラスと帽子で顔を隠しているみたいだが、あの子だと分かる。
「……さ。笹峰、さん?」
「やっぱり! Hinokiさんですよね?」
「あ、はい」
同業者であった事に胸をなで下ろすと、彼女も安心した様子で微笑んだ。
たまたま会ってそこでさようなら、という訳にもいかず、僕は彼女を送るべく、助手席に乗せた。
聞くところによると、笹峰さんはタクシーで帰るつもりだったらしく、一瞬唖然とした。
時間は既に深夜なのだ。
世間に名の知れた女優さんが、そんな危うい行動を取ってもいいものだろうか。
マネージャーをたたき起こして呼び出す方がまだマシだ。
そうは思うが、僕は苦笑しただけで口を噤んだ。



