「ただいま」
中に入ると、数人の地元のお客さんが寛いでいた。
そのうちの一番近い席で、珈琲を啜る祖父くらいの年齢の常連さんと目が合った。
「澪ちゃん、おかえり」
「佐藤さん、ただいま。ゆっくりしていってね」
「ああ」
柔らかいその表情に癒されると、奥のカウンターへ向かい、母が食器を洗っている後ろ姿を見つけた。
水道の音で私には、まだ気づいていないらしい。
私は面白がって、少しずつ近付き、母の両肩に手を乗せてみた。
すると、母は「わっ」と小さく声を出し、振り返る。
「ちょっとぉ、ビックリしたじゃない」
「ごめん、ごめん。ただいま。あれ? おじいちゃんは?」
「おかえり。おじいちゃんなら、出掛けてるわよ。それにしても、今日に限って、遅かったわね」
「うん。友達と話してたら、長くなっちゃった。ところで、何? その『今日に限って』って」
「教えてほしい?」
全く意地悪だ。
さっと、教えてくれたらいいだけなのに。
相変わらず、母は意地悪く勿体振る。
「ねぇ、何? 教えてよ」
私がせがめば、母は口角を上げた。
「……今日、理ちゃんが来てるわよ」
「え! 嘘!」
「嘘だと思うのなら、地下の練習室、覗いてきてみたら?」
気持ちが昂ったまま、駆け足で地下室の階段を下った。
練習室の防音扉の前で止まると、微かに中から音が聴こえてくる。
昔から聴き馴染んでいる音。
本当に微かな音でも、反応出来てしまう。
──ダメダメ。一回、落ち着かなきゃ。
一度、深呼吸をして、冷静になる。
それでも、胸の高鳴りが止まないというのだから、どうしよう。
気持ちより先に、私の手は既に扉のノブを掴んでいた。
そして、そっと開く。



