「……おいっ。ここでちょっと、待っててくれ。ぜーー……ったいに、待ってろよ? 逃げたら……許さないからな」

「は……っ、はい!」


 未だ顔面蒼白のままの男に向けてニヤリと不敵に微笑むと、俺はその場から離れて柱の(かげ)に身を潜めた。そこからコッソリと顔を覗かせると、悪魔を連れ立って歩く美兎ちゃんの様子を静かに見守る。


(このまま、俺に気付く事なく通り過ぎてくれ……っ)

 
 ズンドコズンドコと鳴り響く鼓動を抑えながら、祈るような気持ちで美兎ちゃんの姿を凝視する。すると——。
 何やら、チラシ片手に美兎ちゃん達に近付いて来た男達。一見するとただの出し物の勧誘のように見えるが……それにしては、やたらと長く話し込んでいる。

 よく見てみれば、少し困ったように対応している美兎ちゃん。あれは……間違いなくナンパだ。
 そう認識した瞬間、あまりの怒りに青筋全開で鬼のような形相になった俺の顔。柱を掴んでいる右手の指は、ミシミシと音を立てながら深くめり込んでゆく——。


(俺の……エンジェルに……っ、手ぇ出すんじゃねぇ……っ!!!!)


 自分の事は最大限高く棚に上げさせてもらうとして……。いくら可愛いからとはいえ、中学生相手にナンパとは許すまじ行為——!


「——おい。この子達、困ってんのわかんねぇの……? しつこくすんなよ、可哀想だろ」


 美兎ちゃんの肩に触れようとした男の手をグッと掴むと、そのまま目の前の男に向けてギロリと睨みを効かせる。
 そんな俺を目にした男は、一瞬ムッとしたような顔を見せたものの、急に焦ったように態度を一変させると口を開いた。


「あー……。ご、ごめんね〜2人共。じゃ、良かったら後で遊びにきてね〜」


 それだけ告げると、そそくさと立ち去ってゆく男達。どうやら、相手は俺の事を知っていたらしい。
 3年連続ミスコン優勝の威厳は健在だったようで、無用な争いを避けられたなら良かった。


(まぁ……負ける気なんて毛頭ねぇけど。美兎ちゃんの前で、喧嘩なんてしたくないしな)


 誇らしげに胸を張ると、フフンと鼻で笑って満足気に微笑む。


「あの……。ありがとうございます」

「…………へっ?」


 その可愛らしい声につられるようにして目線を下げてみると、そこには俺の顔をジッと見つめながら(たたず)んでいる美兎ちゃんがいる。



 ———!?!?!?



 俺の頭からすっかりと消え去っていた、今の危機的な状況——。

 あの、一瞬にして天国と地獄を味わう事となった”マシュマロ事件”の事もあって、今となっては、単純に未変装姿を晒す事自体がデンジャラス。
 万が一にでも顔を覚えられていて……それが、『瑛斗先生』と同一人物だとバレてしまったら——! 

 この先の人生に、俺の明るい未来はない。


(やヤやヤ……、ヤベェッッ!?!? っ、あぁぁぁああーー!! 可愛いっっ♡♡♡ ……って、今はそんな場合じゃねぇっ!! ヤバイヤバイヤバイヤバイ——ッッ!!!!)

 
 パニックで挙動不審さ全開な俺は、小悪魔ちゃんの誘惑から逃れるようにして顔を逸らすと、そそくさとその場を離れようとする。


「いっ、いいよいいよ、これくらい……っ。じゃ、2人共ナンパには気をつけてね」

「あのぉ……」

「!!? あー……。いやいや、名乗るほどのもんじゃないから! いや、マジで! ……じゃっ!」

「えっ……」


 悪魔からの会話を一方的に終わらせると、俺はクルリと背を向けて廊下を歩き始める。平常心を装ってはいるが、俺の内心はヒヤヒヤだ。
 名前なんて教えてしまったら一発アウト。もとより、『瑛斗先生』でいる限りこの姿の俺には教えられる名前などないのだ。

 今日は、この数分間だけでも何度ドキドキさせられた事か——。
 先程見た美兎ちゃんからの熱い視線を思い返すと、鼻の下を伸ばしてだらしなく微笑む。


(俺の可愛いエンジェルは……ホント、とんだ小悪魔ちゃんだなっ♡♡♡)
 

 こんなにも短いスパンでハラハラドキドキ攻撃を仕掛けてくるのは、後にも先にも美兎ちゃんくらいなものだろう。
 そのテクニックには、もはや驚きを通り越して脱帽だ。今後どこまで俺の心臓が耐えきれるのか……ちょっと、本気で心配だったりする。

 未だバクバクと脈打つ胸にそっと手を添えると、興奮で息切れの激しくなった呼吸をゆっくりと整える。
 


「……行っちゃったね」

「うん」

「食堂の場所、聞こうとしただけだったんだけど……」

「やっぱり、瑛斗先生にラ◯ンで聞いてみるね」

「うん。それがいいね」



 ——そんな2人の会話は、俺の耳に届くことはなかった。