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「うさぎちゃん……っ」


 溢れるような溜め息と共に(とろ)けた表情をさせると、鼻の下を伸ばして小さく声を漏らす。その声に反応してガバッと振り返った健は、俺に向けて勢いよく口を開いた。


「……えっ!? あの、『うさぎちゃん』!? え、どこど——ンム……ッ!!?」


 健の口を背後から回した手で塞ぐと、右手に持ったフランクフルトの棒をチラつかせて血走った瞳で凝視する。


「っ……おい、黙れ。さもなくば殺すぞ」


 まるで殺し屋のようなセリフを耳元で囁けば、コクコクと勢いよく何度も頷いてみせる健。
 本来ならば、是非にとも美兎ちゃんに話しかけに行きたいところだが……当然ながら、生憎と今日は未変装。ここで万が一にでも正体がバレてしまっては困るのだ。
 大人しくなった健を確認すると、口を塞いでいた手を退けてゆっくりと離れる。
 

「っ……おい! なんなんだよ、一体!」


 鬼気迫る様子の俺に恐れをなしたのか、健は抗議の言葉を述べながらもその声量はとても小さい。


「バカ……ッ! 忘れたのか!? 俺は変装してカテキョしてんだよ! 正体がバレたらどーすんだっ!」

「あっ……、そっか。……で、どの子? 『うさぎちゃん』て」


 うさぎちゃんを眺めながらも、コソコソと健とそんな会話を交わす。


「チョコバナナの屋台の前にいる、ピンクの浴衣の……超絶に可愛い子っっ♡♡♡」


 うっとりとした瞳でそう答えれば、俺の視線を辿った健が口を開いた。


「……え。あの、変なお面付けた子……?」


(変とはなんだ……っ! 『波平』に謝れっ! …………。いや、何か違うな)


 なんだか美兎ちゃんを侮辱されたような気分になり、若干イラッとする。だが、あのハイセンスすぎるお洒落を理解しようなどと、健には到底無理な話しだ。
 ここは一先(ひとま)ず、寛大な心を以て許すとしよう。


「……そう。あの、『波平』のお面の子」

「え……。あれって、どう見ても中学生じゃね?」

「……は? だから、受験生だって言っただろ。ピッチピチの♡ 中3だよ♡」

「確かに、ピッチピチ♡ ……って、いやいやいや!!! 普通、受験生って言ったら高校生だと思うだろっ!? っ……つか、中学生はガチで犯罪だからなっ!!?」


 健の大きな声で、大和達までこちらに注目し始めてしまった。やはり、健は抹殺しとくべきだったのかもしれない……。


(うさぎちゃんにバレたら、どーすんだっ!!! このバカ野郎……っ!!!)


 ヘッドロックを決めて黙らせれば、苦しそうに悶える健が激しくタップする。
 お面のことといい……やはり、許してやった俺が甘かったのだ。


(グハハハハ……ッ!! どうだっ!! ……参ったかっっ!!!)


 悪魔のような笑顔を浮かべて、健の首を更に締め上げた——その時。


「——!!!? ……ファッ!!?」


 こちらに向かって歩いてくる美兎ちゃんの姿に気が付き、驚きの声を上げると瞬時に健から腕を離す。
 

「っ……、おいっ!! 俺を殺す気かよ!?」


 解放された健が何やら叫んでいるようだったが……その声は、もはや俺の耳には届かない。
 ハゲたおっさんを頭に乗せながら、満面の笑みで美味しそうにチョコバナナを頬張る美兎ちゃん。その姿に、俺の瞳はロックオン。

 まったくもって、けしからん。


(そんな姿を……、人様の前で堂々と晒すとは……っ)


 どこぞの変態どもの、恰好(かっこう)の餌食じゃないか——!


(なんて……っ、卑猥なんだっっ♡♡♡♡)


 美兎ちゃんを見つめて鼻の下を伸ばすと、不気味に微笑みながらその姿を堪能する。

 どうやら、さっそく”俺”という変態の餌食になったようだ。ここは是非とも、その姿を写真に納めさせて頂きたいところだが……リスクが高すぎて、それは無謀なチャレンジと言えよう。大人しく諦めて、脳内に焼き付けておくしかないらしい。

 ギンギンに血走った瞳で美兎ちゃんを凝視しつつも、その存在を悟られないように気配を消して静かに佇む。
 そんな俺の様子に、珍しくことの次第を察したのか、隣にいる健も大人しくその様子を静観している。

 そんな中、俺の存在などミジンコ程にも気にしていない様子の美兎ちゃんが、チョコバナナ片手にこちらへと向かって歩いてくる。
 ズンドコズンドコと鼓動を響かせながらも、ギンギンに血走った瞳で目の前を通り過ぎてゆく美兎ちゃんを凝視する。
 と、その時——。


「きゃ……っ!」


 小さな声を漏らすと、そのまま前のめりに倒れてゆく美兎ちゃん。それに向けて、俺は咄嗟に右手を差し出した。