「流希、受験頑張ってね。応援してるから!」
靴を履いて試験会場に向かおうとしていたら、母さんに肩を叩かれて弁当を差し出された。
は?
俺は父さんの暴力を見て見ぬふりしたクソ野郎だぞ?
「う、うん。ありがとう」
弁当を受け取って家を出た。
母さんの姿が頭にこびりついて離れない。
なんで弁当なんて作ったんだよ。俺はずっと母さんを助けなかったのに。
頑張ってなんて言われる価値もないのに。
いつまで暴力を見て見ぬふりするつもりなんだよ。
電車を降りた。
家に帰ろう。いい加減母さんを助けないと。
試験日なのにか?
今日試験を受けなかったらきっと浪人生になる。それなのに家に帰って父さんの説得をするのか?
毎日寝る間も惜しんで、父さんの異常性も無視して勉強をしたのに?
駅のホームに立ち尽くして、空を見上げる。
こんな時に限って、天気はウザイくらいに快晴だった。
そのまま立ちつくしていたら、試験の開始時間になった。
「……何してんだ、俺」
涙がとめどなく溢れた。こんなに泣くくらいなら、会場に行った方がよかったんじゃないか?
いや違う。受験は来年でもできる。けれど、母さんは今助けなかったら死んでしまうかもしれないだろ? そうだよな?
誰かに言って欲しかった。自分は、間違ってないんだって。これから正しい行いをするんだって。
「大丈夫?」
突然、誰かに後ろから声をかけられた。
誰かと思って振り向いたら、一瞬で目を奪われた。
二重の大きな瞳に、スッと通った鼻筋。逆三角形の小さな顔、薄い桃色の艶のある唇。ニキビのない白い肌。すごく可愛い子だ。
「何かあったの?」
「いえ……何もないです」
「じゃあ、どうしてそんなに泣いてるの? もしかして、どこか痛いの?」
「えっと」
「あ、ごめん。まずは自己紹介しないとだよね。私、早乙女夏菜。大学一年生だよ」
「矢野流希です。高校三年生です」
「え、受験生なの? 今十時だけど、試験今日じゃない? 大丈夫?」
「今日でした」
「え、今日だったの?」
「はい。俺、試験すっぽかしました」
「え、どうして?」
俺は気がついたら、夏菜に家のことを全て話してしまっていた。
赤の他人に言うのはよくないことだとか、部外者に言ってどうするって感情が湧く前に、話したいって欲求で頭が埋め尽くされて、つい何もかも話してしまった。
夏菜は俺の話を真剣に聞いてくれて、俺と一緒に家に行って、父親と話をしてくれた。赤の他人なのに、そこまでしてくれた。たぶん夏菜がそうしてくれる前から、いや、俺は駅のホームで見かけた時から、夏菜に惚れていた。
「はあ……」
昔のことなんて思い出しても仕方ないよな。夏菜はもういないんだから。
俺が母の味方をしたことがきっかけで、父は俺が試験をすっぽかしてから一週間もしないうちに母と離婚した。父はそれから一切母と連絡を取っていない。そんな父と違って、俺は母と今でも頻繁に連絡を取り合っているし、試験日まで助けなかった分まで、母には優しくするようにしている。でもたとえ今はそうだとしても、暴力を見て見ぬ振りしたことだけでも大きな罪だから、その報いを受けたのかもしれない。
でももしそうなら、いくらなんでもタイミングが悪すぎだろ。



