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 ラーメンどんぶりを手に、沖田がわたしのところへ戻ってきた。神妙な顔をしている。
「ねえ、これ、本当に食える?」
「そんな言い方しないの」

「でも、脂の匂いや獣の匂いを横に置くとしてもだよ。この時代の人間じゃあないおれが、これを食って平気なのかい?」
「平気。この店のなら、食べられる。保証する。伸びないうちに食べなよ」
 息切れしながら、わたしはささやいた。

 柴蔵で使われている食材は、寮で生産した作物でこそないが、品質はそれにかなり近い。添加剤の類を使わないことも、この店の謳い文句だ。
 熱にうめくわたしの声が聞こえる範囲に、ということだろうか。沖田はわたしのすぐ隣に腰を下ろした。

 屋外だ。十一月の午後は、そろそろ夕方に近付いて、風が冷たい。
 学生アパートの駐輪場が、臨時の青空ラーメン屋に早変わりしている。
 柴蔵の厨房から運び出された寸胴鍋が空っぽになるまで、ラーメンが振る舞われることになった。一杯五百円。もしくは、店の片付けを手伝えば無料。御蔭寮生も無料。

 湯気が沖田の顔をくすぐっている。涼しい表情で戦っているように見えたが、顔にも髪にも首筋にも、汗でびっしょりと濡れた痕跡があった。
 くぅ、と音がした。沖田が小さな声を上げる。

「あ。腹の虫が鳴いた」
「きみの?」
「そう、おれの。食っていなかったら腹が減るものなんだな」
「当たり前のこと」

「それが当たり前だと言えなくなって、けっこう経つよ。胸の病が進むより先に、そっちだった。腹が減るっていうことがわからなくなった。でも、まあ、おれの腹の虫、生きていたんだな」

 沖田は箸を取ると、ふやけ始めた海苔を脇によけて、黄金色のスープから麺を引き上げた。ふう、と息を吹き掛ける。
 もちもちしたストレート麺だ。ラーメン大好きの切石はいつも、硬めをオーダーする。さっき、沖田のぶんも切石が面倒を見ていたから、これも硬めのゆで具合だろう。

 沖田が、ふと、こちらを向いた。
「食う?」
「今は無理。苦しいし、具合悪い」
「そう? じーっとこっちを見てるから、これがほしいのかと思った。切石さんがね、これならおれでも食いやすいはずだって言ったんだ。うちの大将が調子悪いときに頼むやつやでって」

 スープは背脂少なめで、トッピングは海苔とほうれん草とネギと煮卵。チャーシューはほんのちょっと、切れっ端だけでいい。ネギは生だと消化に悪いから、スープに沈めてしんなりさせる。

 沖田はようやくラーメンに口を付けた。ずずっとすする。
 慣れない料理を味わっているのだろうか。沖田は少し首をかしげた。でも、もぐもぐするのを止めない。そのまま飲み込む。うん、と一つうなずき、また麺に息を吹き掛けて、すする。

 江戸時代生まれでも、ラーメンの食べ方は同じなんだな。
 どうでもいいことをぼんやりと、わたしは考えた。

 同じに決まっているか。江戸は外食文化の町だった。沖田たちは貧乏だったらしいし、道場は男所帯だっただろうし、屋台へ安い蕎麦を食べに行ったりしたんじゃないか。温かい蕎麦は、当然ながら、ラーメンみたいにすすって食べただろう。

 沖田は、半割の煮卵を半分かじった。どんぶりに口を付け、ちょっとだけ、スープを口に含む。

「風変わりな匂いだ。これって、異国の食べ物みたいなものなんだろう?」
「きみの時代の料理を基準にすれば、そうだね。豚の骨でだしを取った汁だよ」
「動いた後だから、汁がこのくらい塩辛いのも悪くない。京都に来たばかりのころ、こっちで出される料理は味がしなくて、難儀したんだ。江戸の味付けとは全然違う」

「この汁は飲みすぎないようにね。脂、多いから。慣れてないと、胃気が脂に負けて、食べたものを化することができなくて、具合悪くなるよ」
「ああ。切石さんにもさっき言われた」

 沖田はよほど空腹だったんだろう。熱い、と文句を垂れながらも、あっという間にラーメンを平らげた。

「おいしかった?」
「たぶん」
「味、わかんなかった?」
「そうだね」
「でも全部食べられた」

「一仕事して、腹が減ってて、お天道さんの下で食ったから。薄暗い部屋の中で粥をすするより、外でひなたぼっこしながら握り飯を食うほうが、いいだろう?」
「もしかして、寮の食堂、苦手?」
「ちょっと暗いよね、あそこ。せめて庭でも見えりゃいいのに」

 沖田は立ち上がった。どんぶりを返しに行って、代わりに水をもらってきた。竹製のコップは両手にあった。
 わたしの目の前にコップが一つ、差し出された。

「安全な水だってさ。器のほうも」
「ありがとう」
「口で浅い息をするしかできなくて、喉が渇くだろう?」
「うん」

 沖田はまた、わたしの隣に座った。いつの間にか、刀は外してある。その空っぽになった左の腰が、わたしの右隣のすぐそばにある。