わたしは高熱にかすむ目で宙を見上げた。
 どの豚も、とっくに生き物ではなくなっている。でも、肉体は保持されている。幽霊ではない。

「豚の肉や骨を依り代にして宿った栄励気が、闘争本能だけの下等妖怪になってるってところ?」
 わたしのつぶやきに、切石がうなずいた。
「チャーシューと豚骨とラードやな。匂い、かいでみい。不細工な見てくれにも似合わん、ええ匂いがしてはるわ」
「今、匂いが全然わかんない。口で息するのがやっとで」

 沖田は手早く襷《たすき》を結んだ。顔をしかめている。
「これ、いい匂いかな?」
「ええやん、ラーメンの匂い」
「脂くさいし、獣くさいよ」

「食わず嫌いせんと、挑んでみよし。ここのラーメンは至高やで。スープはコクの深い豚骨ベースでこってりしとるが、醤油の味わいそのものは品がええ。背脂の浮いたスープは黄金色に光りよる」

「ふぅん。それで、そのラーメンとやらの材料がああやって黄金色に光って騒ぎ回るのは、よくあることなのかい?」
 沖田は刀の柄で上空を指した。

 巡野が早口で説明した。
「この店は過去に複数回、同じ目に遭っていますね。これまではもっと小規模でしたが」
「どうしてこんなことが?」

「ここは龍脈が地表に出た、まさにそのポイントに当たります。しかも最近、百鬼夜行の通り道にもなった。その二つの要素が、新鮮で質の高い食材と口コミ評価トップクラスの料理人の気迫とかち合って、あれらを生んだのでしょう」

 沖田は眉根を寄せ、頭を掻いた。カタカナの多い巡野の言葉がいまいちわからなかったのだろう。
「えっと、龍脈って何?」

「おや、沖田さんはご存じない? 大地の栄励気が流れる通り道ですよ。一般的には地下深くにあってその存在を感知するのは難しいのですが、この京都だけは特別です。市内の至るところに龍脈が露出しています」

「そういえば、山南さんから聞いたことがあるかもな。まあ、理屈はどうでもいいや。とにかく、妙な栄励気にあてられて化け物になっちまったあいつらを倒せばいいんだろう?」

 長江くんが声を上げた。
「ねえ~、そろそろ限界なんだけど。いくら知能が超絶低い豚ちゃんたち相手でも、きみらが駆け付けるまで三十分以上、一人でかまってやってんだよ。マジ疲れた~」

 切石はわたしを背中から下ろし、長江くんに笑い掛けた。
「おう、ご苦労やったな。ここからはわしらが代わったるから、浜北や巡野と一緒にどっかの結界に入って休んどき」
「そう? んじゃ、こっちの術は解くけど、そしたら、あいつら、ばーっと降ってくるよ。まさしく、はれときどきぶたってやつ」

 松園くんが、親指で肩越しに自分の背後を指し示した。
「さっさと入れ」
 わたしはふらつきながら、松園くんの結界の中に入った。空気が違う。薄荷のような香りがする、清涼な空気。ほんの少し呼吸が楽だ。
 巡野がポルターガイストの要領で、長江くんを結界の中に運ぶ。へたり込む長江くんは、まだ術を解かない。巡野も戦線から下がる。

 沖田が楽しそうに刀を抜いた。陽光が刃の上を走った。
「敵を叩く役目は、おれと切石さんだけなんだ? いいね。足手まといがいないのは、すごくいい」

「わしが足引っ張らへんとは限らんで?」
「冗談なら、それ笑えないよ。あんたも強いんだろう。お互い、遠慮せずにやろうよ。こんなに体が楽なのは久しぶりだ。わくわくする」

 沖田は喉をすっと撫でると、わたしを振り向いた。昼の日の光よりも強く、笑った両目がらんらんと輝いている。
 わたしが沖田の肺病を預かっている。猛者の剣を振るうと讃えられた沖田は今、健康体で自由の身だ。

 沖田はだらりと腕を下げた。力みの抜けた構えだ。刀に、ぶわりと猛烈な気が満ちる。
 切石は一声、吠えた。気迫が疾風を生む。長身がさらにひと回り膨れ上がる。

 働き通しで汗びっしょりの長江くんが、両手をメガホン代わりにして叫んだ。
〈そんじゃ、全力でやっつけちゃって~! メリーゴーランド解除! いっけぇぇええ!〉

 鉄砲玉のように、沖田と切石は飛び出した。晴れた空から豚が降ってくる、戦場へ。