「大好きだよ……。私、ひぃくんの事……、大好きだもん……。不倫なんて……っ、浮気なんて絶対にしないよ……っ」


 まるで独り言のように小さな声でそう呟くと、ガクガクと揺れていた身体がピタリと止まった。


「……本当っ!!?」


 キラキラと瞳を輝かせるひぃくんは、とても嬉しそうな顔をして私を見つめる。


(またですか……っ。忍法、涙隠しの術。あんなに流していた涙は、何処(いずこ)へ……?)


 目の前で嬉しそうに微笑んでいるひぃくんを見て、目まぐるしく変わるその表情に顔面がヒクつく。


「ーー良かったなぁ、響っ!」


 それまで黙って私達を見ていたお父さんは、そう言ってポンッとひぃくんの肩に手を乗せると嬉しそうに笑った。


「……うんっ! 花音、結婚してくれるって!」

「そうか〜! 良かったな〜!」


(……えっ!?)


 嬉しそうに話している姿を見て、焦った私は二人に向けて急いで口を開いた。


「っ……わ、私っ! 結婚するなんて言ってないよ!?」

「何言ってるんだよ、花音。言ってたぞ? 結婚するって。……なぁ? 響」

「うんっ! 言った!」


(えっ!? 私……っ、言った!? 言ったの!? 自分でも気付かない内に……っ、無意識に言ってしまったの!!?)


 パニックで混乱した頭のまま、チラリとお母さん達に向けて視線を移してみる。
 すると、その視線に気付いたお母さん達は私に向けてニコリと優しく微笑んだ。


(えっ……。その、笑顔の意味は……っ? やっぱり……っ私、言ったの? 結婚するって……)


 お母さん達の笑顔に益々混乱して呆然とする。
 その隙に、再び私の右手にボールペンを握らせたひぃくん。


「……じゃあ、ここに名前書いてねっ?」


 フニャッと笑って小首を傾げるひぃくん。
 そんな姿を見て、思いっきり顔面を痙攣らせた私。


(いや……、ちょっと待って……。っ……、やっぱり言ってないよ……っ! 私、結婚するなんて言ってないからーーっ!)


 今にも泣き出してしまいそうな程に情けない顔をする私は、一縷(いちる)の望みをかけてお兄ちゃんの方を見た。


(お願いっ……、お兄ちゃん。私を見捨てないで……っ)


 この場で唯一頼れる存在だと思われるお兄ちゃんを見つめて、瞳を潤ませながら心の中で懇願する。

 ソファに座って呆れながらこの光景を眺めていたお兄ちゃんは、そんな私を見て大きな溜息を吐くと口を開いた。


「……だから、からかうなって言ってるだろ。花音はすぐ騙されるんだから……」



 ーーー!!!



(お兄ちゃんっ……! 私を見捨てた訳じゃなかったのね……っ!?)


 お兄ちゃんに見捨てられたとばかり思っていた私は、目の前のお兄ちゃんを見つめて喜びに小さく身体を震わせる。


「っ、……お兄ちゃんっ!」


 ガバッと勢いよく立ち上がると、お兄ちゃんに向かって走り寄るとそのままダイブする。


「……っ! 私を見捨てた訳じゃなかったのねっ!? 良かった……っ !」

「…………。見捨てるって何だよ……」


 泣きそうな顔をしながらも喜ぶ私を見て、呆れながらも優しく抱きとめてくれたお兄ちゃん。


(っ……やっぱり、私の味方はお兄ちゃんだけだよ……っ。これからも、ずっとずっと私の味方でいてね?)


 そんな事を思いながら、フフッと小さく微笑む。
 そんな私をすぐ近くで見ていた彩奈は、クスッと小さな笑い声を漏らす。


「ーー花音」



 ーーー!?



 突然、ヌッと私の顔を覗き込んできたひぃくんは、私と視線を合わせると小首を傾げてフニャッと微笑んだ。


(ビッ、ビックリした……っ)


 いきなりのドアップとか、心臓に悪いから本当に辞めて頂きたい。
 目の前でニコニコと幸せそうに微笑むひぃくんを見て、何だか嫌な予感がした私は無意識にお兄ちゃんの服をキュッと握りしめた。


(怖いよ、ひぃくん……っ。何だか凄く怖い、その笑顔……)


「良かったね〜? 翔も賛成だって、俺達の結婚っ」


 そう告げると、私の目の前でニコッと笑ってみせたひぃくん。


(この人は一体、何を言っているの……?)


 さっきのお兄ちゃんの言葉、本当にちゃんと聞いていたのだろうか……? 何をどう聞き間違えたら、そんな解釈になるというのだ。
 目の前にいるひぃくんを見つめて、思いっきり顔を痙攣らせる。


(まっ……、負けないんだから……っ。そうーー今の私には、お兄ちゃんがついてる。ひぃくんになんて……、絶対に負けないんだからっ!)


 そんな事を思った私は、気持ちを立て直すと目の前のひぃくんをキッと睨みつける。


「っ、……そんなに見つめないでよ〜、花音。可愛すぎて我慢ができなくなっちゃうよ〜」


 私の顔を見て、そんな事を言ったひぃくん。
 ユラユラと身体を横に揺らしながら、とても嬉しそうに微笑んでいる。

 私はーー
 見つめているのではなく、睨んでいるのだ。
 そんな事ですら、もはや今のひぃくんには伝わらないのだろうか……。


(ダメだ……っ。私じゃやっぱり、敵わないかもしれない……)


 ニコニコと嬉しそうに微笑むひぃくんを見て、気持ちで負けてしまった私はヒクリと口元を痙攣らせた。
 そんな私達のやり取りを黙って見ていたお兄ちゃんは、突然ひぃくんの肩をガシッと掴むと後ろへ押し退けた。


「……おい。響、それ以上花音に近づくな。……だいたい、俺がいつ結婚を認めたんだよ? 勝手な事言うな」

「えー? 言ってたよ? さっき」

「言ってないだろ。一体、どんな解釈したらそうなるんだよ……」


 ニコニコと微笑むひぃくんを見て、呆れたような顔をして小さく溜息を吐くお兄ちゃん。


「またまた〜。……照れなくてもいいんだよ? ちゃんと解ってるからっ」


 そう言ってフニャッと笑って小首を傾げるひぃくん。


「お前は何も解ってないよ……。何で照れる必要があるんだよ、アホ」


 目の前で呑気に微笑んでいるひぃくんを見て、呆れた顔のまま溜息まじりにそう小さく呟いたお兄ちゃん。


「何だ〜? 翔。お前、照れてたのか? ……おかしな奴だな〜。何でお前が照れる必要があるんだ?」


 そう言ってハハハと豪快に笑うお父さん。


「だから……、照れてないって。……おかしいのはコイツだろ」


 ウンザリとした顔でそう呟いたお兄ちゃんは……。もはや、戦意喪失気味のよう。

 それもそのはずーー。
 ひぃくんもお父さんも、全く話が通じないのだ。
 こんな二人を相手に、どう対抗すれば良いというのか……。私だってわからない。
 でも、ちゃんと話して説得するしかないのだ。

 だって、私は高校生で結婚だなんて……そんなこと、絶対にできないからーー。


「ひぃくん……っ。私、やっぱりまだ結婚はできないよ。だって私……まだ、高校生なんだよ?」


(またひぃくんが大泣きしちゃったらどうしよう……)


 そんな事を考えてビクビクとしながらも、目の前のひぃくんに向けてハッキリとそう宣言をする。


「恥ずかしがっちゃって可愛いね〜、花音はっ」


 ニコッと微笑んだひぃくんは、そう言うと私の頬をツンッと(つつ)く。


「ち……違うよ、ひぃくん……っ。私、恥ずかしがってるんじゃなくてーー」

「大丈夫だよっ? ちゃんと解ってるからっ」


(いや、解ってない……っ。解ってないよ、ひぃくん……。私、全然大丈夫なんじゃないから……っ!)


 目の前でニコニコと微笑んでいるひぃくんを見つめながら、あまりの話しの通じなさに徐々に顔面蒼白になってくる私の顔。


「翔も花音も、照れ屋さんだな〜」


 そんな事を言いながら、ハハハと豪快に笑っているお父さん。


(……だから、違うってば。さっきから何言ってるの? この二人……っ)


 そんな二人の姿を見てドン引きする私は、真っ青な顔をしたまま大声を上げた。


「っ、……本当に違うからっ!! 私……っ、まだ高校生なんだよっ!? 結婚なんてできるわけないでしょ……っ!? やめてよっ、お父さんまでっ!!」


 突然の大声に、一瞬キョトンとした顔を見せたひぃくん。
 何かを閃いたような顔をさせると、私に向けてフニャッと微笑んだ。


「そっか……。花音は沢山エッチがしたいんだねっ。そんなに心配しなくても大丈夫だよ? いいよ、いっぱいしようねっ」



 ーーー!!!?



 ひぃくんの放った言葉に、硬直した私の顔面がピクリと痙攣る。


(私が一体……いつ、エッチの話しをしたっていうの……? それじゃまるで、私が性欲マシンの変態みたいじゃない……っ。……なんて事言うのよ。ひぃくんのバカ……っ!)


 目の前で呑気にニコニコと微笑んでいるひぃくん。


(私にはもう……っ、ひぃくんの思考が全く解らないよ……)


 今にも泣き出しそうな顔をすると、目の前のひぃくんに向けて勢いよく口を開く。


「……っ、ひぃくんの変態っ!! バカッ!! ……っもう嫌いっ!! あっちに行ってっ!! 近寄らないでっ!!」


 そんな暴言を吐きまくると、羞恥に耐えかねた私はお兄ちゃんの胸に顔を(うず)めた。


「かの〜んっ!」



 ーーー!!?



 そんな私をお兄ちゃんごと抱きしめたひぃくん。


(あぁ……また、デジャヴが……っ)


 身体が傾いてゆく中、一瞬そんな事を思った私ーー。

 そのままゆっくりと倒れると、気付けばソファの上でサンドイッチ状態の私達。
 下にはお兄ちゃん、上にはひぃくん。重くて死にそうだから……本当に辞めて頂きたい。


「恥ずかしがっちゃって可愛いね〜、花音はっ。いっぱいエッチしようねっ?」

「……っ。この体勢で変な事言うなよっ! 気持ち悪いなっ! 早くどけっ! ……揺れるなっ!!」


 私の上で身体を揺らしながら、「かの〜んっ。かの〜んっ」と嬉しそうな声を上げているひぃくん。


(やっ……、やめて……っ。お願い、揺れないでっ。……っひぃくんのバカ……! 変態……っ!!)


 苦しさに呻き声を上げるだけの私は、心の中で何度もひぃくんのことを変態と(ののし)る。
 苦しさと羞恥心から顔を真っ赤に染め上げながらも、私の上で揺れているひぃくんの体温を背中越しに静かに感じる。

 その温もりが、何故かとても優しく感じたのは……私の気のせいなのかもしれない。



 ーーやっぱり、ひぃくんはちょっと変。



 いつだってこうして、私は振り回されるのだ。
 それはきっと、これからも変わらない。

 そんなひぃくんの事を、時には嫌だなんて思ったりする事もあるけど……。

 だけど、やっぱり私はーー。
 どうしようもない程に、ひぃくんに惚れているんだと思う。




 だって、そのたびに私はーー




 何度だって、また君に恋をしちゃうんだから。








 ーーー完ーーー






本編完結となります。
次ページより、番外編スタート