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 二人揃って私の家へと帰宅すると、そのまひぃくんを自室へと案内した私。
 勉強机の上に置いてあった箱を掴むと、テーブル前へと移動してひぃくんの隣へ腰を下ろす。

 私の横で、ニコニコと嬉しそうに微笑んでいるひぃくん。そんなひぃくんをチラリと横目に確認すると、チョコの入った箱を差し出した。


「はい、ひぃーー」



 ーーー!?



 言葉を言い終える前に、私の手元からもの凄い勢いで箱を奪い取ったひぃくん。
 毎年の事ながら、その早さには毎回驚かされる……。


「ありがと〜! 花音っ!」

「……あっ。う、うん」


 呆気に取られていた私は、そう答えるとヒクつく口元でヘラッと笑った。


「嬉しいな〜っ! すっごく、嬉しいな〜っ!」


 チョコの入った箱を大事そうに胸に抱えると、ユラユラと揺れて嬉しそうに微笑むひぃくん。
 そんなひぃくんを横目に、携帯を開くと画面を確認してみる。


(彩奈からの連絡は、まだない……か。もうとっくにお兄ちゃんに会ったと思うんだけど……。どうしたんだろう? 私から連絡してみようかな)


 彩奈からの連絡がない事を不安に思った私は、画面をスライドさせると彩奈の連絡先を開いた。


「ねぇ、花音っ! 開けてもいいっ!? 開けてもいいかなーっ!?」


 その声に反応して顔を上げてみると、大事そうにチョコを抱えたひぃくんが瞳をキラキラと輝かせて私を見つめている。


「う、うん。……どうぞ」


 異常な喜びを見せるひぃくんに若干引きつつも、そう答えると手元の携帯を再び操作し始める。

 ーーと、その時。一階から、玄関扉を開閉する音が微かに響いた。


(……えっ!? お兄ちゃん帰ってきたの!? じゃあ……彩奈はっ!? 彩奈はどうなったの!?)


 未だ連絡の来ない携帯と自室の扉を交互に見て、その場で一人オロオロとする。


(えっ……何で!? 何で彩奈から連絡が来ないの!? ……まさかっ! お兄ちゃんと会えなかったとか!? ……やっぱり、今すぐ電話で確認してみようっ!)


 そう思った私は、作成中だった入力画面を一旦閉じると通話ボタンを押した。
 携帯を耳に当て、そこから聞こえてくるコール音に耳を傾ける。



 ーーーピリリリリッ



(へっ……?)


 廊下から聞こえてくる音につられるようにして、反射的に目の前の扉に視線が向く。


(……あ……れ? 偶然、だよね……? きっと、お兄ちゃんの携帯が偶然鳴ったんだんだよね……?)


 そうは思うものの、廊下が気になって扉から目が離せない。



 ーーーコンコン



「……っ!? はっ、はいっ!」


 見つめていた目の前の扉が突然ノックされ、驚いた私は携帯を耳に当てたまま大きな声を上げた。



 ーーーガチャッ



 私の返事を確認してからゆっくりと開かれた扉。

 携帯を耳に当てたまま、呆然と入り口に立つお兄ちゃんを見つめる。
 その背後に続く廊下からは、未だに規則正しい携帯の着信音が鳴り響いている。

 お兄ちゃんを見つめたまま呆然と固まっていると、その背後からヒョコッと顔を現したのはーー
 今まさに、私が連絡を取ろうとしている彩奈だった。



 ーーー!!?



「……えっ!!? 彩奈っ!? な、なななな、何で!? えっ!?」


 パニックを起こして慌て出す私を見て、小さく溜息を吐いたお兄ちゃん。


「ちゃんと説明するから。とりあえずそれ、切って」


 私の耳に当てられている携帯を指差してそう告げると、そのまま彩奈を連れて部屋の中へと入ってくる。
 そんなお兄ちゃん達を見て、一体何がどうなったのかと動揺しながらも、言われた通りに携帯を切ると心を落ち着かせる。


「……俺達、付き合う事になったから」



 ーーー!!?



 私の目の前に腰を下ろすなり、そう宣言したお兄ちゃん。
 その言葉に、衝撃で思わず言葉を失う。

 お兄ちゃんの横に座っている彩奈に視線を移してみると、恥ずかしそうにして頬を赤らめている。


「……っ彩奈!! おめでとーっ!!」


 身を乗り出して彩奈の肩を掴むと、あまりの嬉しさに大きな声を上げる。
 そんな私に驚きつつも、ほんのりと赤らめた顔で小さく微笑んだ彩奈。


「……ありがとう、花音」


(良かったね……、彩奈っ。私、嬉しくて泣きそうだよ……っ)


 嬉しそうに微笑んでいる彩奈を見ていると、なんだか目頭が熱くなってくる。


「……じゃ、そういう事だから」


 それだけ告げると、彩奈を連れて部屋から出て行こうするお兄ちゃん。


「……えっ!? ちょっ、待ってよお兄ちゃん! それだけ!? それだけなの!?」


 咄嗟にお兄ちゃんの腕を掴むと、必死になって引き止める。


(そういう事だからって、何!? 私が聞きたいのは、詳細よっ!!)


「何がどうなって、付き合う事になったの!? 教えてよー!」

「何でお前にそんな事教えなきゃいけないんだよ」

「聞きたいっ! 聞きたいんだもんっ!」


(だって、お兄ちゃん彼女は作る気ないって言ってたじゃん! 勿論、彩奈と上手くいった事は嬉しいよ。凄く嬉しいっ! ……だけど、何で!? 何で付き合う事になったの!!?)


 グイグイと腕を引っ張る私の頭をガシッと掴むと、そのままグッと後ろへ押し退けたお兄ちゃん。


(まっ……、負けないんだからっ!)


 その力によろけながらも、必死にお兄ちゃんに近付こうと宙をもがく私の手。
 そんな私を見て溜息を吐いたお兄ちゃんは、その視線をひぃくんへと向けると口を開いた。


「おい、響。変な事はするなよ」

「はーいっ」


 小首を傾げてフニャッと笑ったひぃくんは、そう答えるとお兄ちゃんへ向けてヒラヒラと手を振る。

 一人暴れている私を見てクスッと笑い声を漏らした彩奈は、「後でね」と私に耳打ちをすると、そのままお兄ちゃんと共に部屋から出て行ってしまった。


(……お兄ちゃんのケチ! 一番聞きたいのは、付き合うに至った経緯に決まってるじゃないっ! もうっ、全然わかってないんだから……。乙女はそういう話が好きってのが、定番なのよ? ……いいもんっ。後で、彩奈から色々聞いちゃうんだからねっ!)


 ボサボサになってしまった前髪を整えながら、一人そんな事を考える。


「俺も、大好き〜っ!」


 扉の前で突っ立ったままだった私は、その声に反応して背後を振り返るとひぃくんを見た。


(……えっと……、何の話し?)


 私を見つめてニコニコと微笑んでいるひぃくん。その手元を見てみると、蓋の開いた箱を持っている。
 状況を理解した私は、ニッコリと微笑むと口を開いた。


「私も、だぁ〜い好きっ!」


 彩奈達が上手くいって何だか無性に嬉しかった私は、そう告げるとひぃくんに駆け寄りそのまま飛び付いた。

 蓋の開いた箱から見えるのは、【大好き】と書かれた私の手作りチョコレート。
 そんな素直な気持ちを伝えたくなるバレンタインは、何だかいつもより私を大胆にさせるようだ。

 スリスリとすり寄って甘える私を優しく包み込んだひぃくんは、クスッと笑い声を漏らすと「可愛いー、花音」と耳元で囁く。
 何だかそれがくすぐったく感じて、腕の中でモゾモゾと身体を動かす。
 そんな私を一度キュッと強く抱きしめたひぃくんは、ゆっくりと身体を離すとフニャッと笑った。


「花音の好きは、どれくらい? いっぱい?」

「……えっ? う、うんっ。いっぱい好きだよっ?」

「本当!? 嬉しいな〜!」


 私の答えに満足したのか、とても嬉しそうな顔をしてニコニコと微笑むひぃくん。


「じゃあ、地球が見えなくなるぐらい好きって事?」


(…………。……うん。ちょっとその例えは、よくわからない)


「……うっ、うん。それぐらい好き……、かな?」


 よくわからない例えに戸惑いながらも、ヘラッと笑ってそう答える。


「じゃあ、俺と一緒だねーっ?」


 小首を傾げて嬉しそうにフニャッと笑ったひぃくん。


(そ、そうなんだ……。地球が見えなくなるぐらいって……どういう事?)


 イマイチ理解できないその表現を疑問に思いながらも、目の前で嬉しそうに微笑んでいるひぃくんを見て思わず笑みが溢れる。


「ねぇ、花音。……花音からキスして?」

「えっ!?」

「いっぱい好きなら、いいでしょ?」


 そう言って瞼を閉じてしまったひぃくん。


(自分からするのって、凄く恥ずかしいんだけどなぁ……)


 そんな躊躇(ためら)いはあるものの、大好きなのは本当の気持ちだし……。正直、私だってひぃくんとキスがしたい。
 そう思った私は、意を決してひぃくんの顔にゆっくりと近付いていったーーその時。
 私の視界に入った、小さい”何か”。

 チラリと視線を横に移してみるとーー
 そこには、天井から垂れ下がった小さな蜘蛛が……。



 ーーー!!?



「ヒッッ……!!? いやぁああーーッッ!!!」



 ーーーバチンッ



 驚きに思わず仰け反った私は、大声を上げると目の前のひぃくんを突き飛ばした。
 その数秒後、もの凄い勢いで開け放たれた私の部屋の扉。



 ーーーバンッ!!!



「っ……おい、響っ!!! お前なーーっ!?」


 鬼の形相で怒鳴りながら入ってきたお兄ちゃんは、目の前のひぃくんを見るとピタリと動きを止めた。


「おにっ……お兄ちゃんっ!! 蜘蛛っ!! 蜘蛛取ってぇー!! 蜘蛛っ!! 蜘蛛ぉおおーッッ!!!」


 ヒーヒーと悲鳴を上げながら、蜘蛛を退治しろと指差す私。その横では、体育座りをして両手で顔を覆いながら、メソメソと涙を流しているひぃくんがいる。
 そんな私達を見て、懸命に状況を把握しようとしているお兄ちゃん。


「いっぱい、好きって言ったのに……。嫌って……、嫌って……言った……っ」


 ブツブツと小さく呟きながら、両手で顔を覆ってシクシクと涙を流し続けるひぃくん。
 そんな姿を黙って眺めていたお兄ちゃんは、大きく溜息を吐くと口を開いた。


「……ほんと、何なんだよお前ら……」


 小さく愚痴を溢しながらも、素早く蜘蛛を退治してくれるお兄ちゃん。


「…………。おい、響。今氷持ってきてやるから……ソレ、ちゃんと冷やしとけよ」


 そう言って呆れたような顔をするお兄ちゃん。
 その視線の先では、未だひぃくんがシクシクと涙を流し続けている。

 何やらどんよりとした暗いオーラを漂わせながら、体育座りをして一人部屋の隅で泣き続けているひぃくん。
 あまりに重いその空気に、なんだか近付くことすら躊躇(ためら)われる。


(……ご、ごめんね……。ひぃくん……)


 私はその姿を遠目に眺めると、ヒクリと顔を痙攣らせて心の中で謝罪した。


(後で、ちゃんと謝らなきゃ……)


 背中を丸めてプルプルと震えながら泣き続けているひぃくん。
 その顔には、私の手形がクッキリと赤く残っていたのだったーー。