女が退院する日は、空には雲一つない春らしい陽気となっていた。



この一週間の間、俺が見舞いに訪れると以前話を聞きにきていた刑事の江波
も何度か病室を訪れていた。

そのほとんどが失踪者の届けにも女に該当するものが無い旨を報告に来たと
いうものであったが、単に女の事が心配で様子を見に来たということもあった。

江波は身元の分からない女の今後の生活を心配し、一つの提案をしてきた。

「今後の生活を考えると戸籍がないことは大変だと思います。
 なので、戸籍を取得してはどうかと思うんです。
 考えが決まったら良い弁護士を紹介するので、連絡をください。」

そう言うと携帯番号の書かれた名刺を置き病室を出ていった。

「戸籍の事は家に行ってからゆっくり考えよう。」

「はい、そうします。」

女はそう言うと江波の名刺をバックの中に大事そうに仕舞っていた。



結局、何も手掛かりのないままの女に俺は一つの提案をした。

「あのさ、名前が無いのは不便だろ。
 取りあえず、何か呼び名を考えよう。」

「はい、どんな名前がいいでしょう?」

喉の調子も戻り、女のか細いながらも高くも低くもない声が耳に届く。

俺の頭の中には、ふと『海』の青さが浮かんだ。

「『(アオイ)』はどうかな?」

一瞬「ん!?」という表情をするが

「君を見ていると初めて会った、海を思い出す。
 海の青からイメージして碧。」

俺の名前の由来を聞くと、フッと顔を綻ばせ笑顔をむけた。

「碧。素敵な名前ですね。ありがとうございます。」

「じゃあ、今日から碧って呼ぶよ。」

「はい!
 あ、あの・・名前を聞いてもいいですか?」

恥ずかしそうに聞く碧に、今更ながら自分が名乗ってなかったことに気づく。

「ああ、すまない。俺は氷室 蒼(ヒムロ ソウ)、蒼って呼んで。
 ついでに言うと35歳の独身。」

「じゃあ、蒼さんでいいですか?」

「いいよ。」

「蒼さん、これからよろしくお願いします。」




そんな以前のやり取りを思い出しながら、病室の扉をノックした。