可哀想って言われると、自分は可哀想なんだって認識が生まれる。

まだ小学生だったから、その『可哀想』にがんじがらめにされて、心の身動きがとれなくなった。



毎朝、登校班の待ち合わせ場所までついて来て見送ってくれるお母さんはいない。

わたしたちが揃って登校したあと、雑談で盛り上がってるみんなのお母さんたちの中に、わたしのお母さんはいない。



みんなの家にある『門限』もなかった。


友だちのアヤちゃんに『あともうちょっとだけ、ももねと遊んで?』ってお願いした次の日には、アヤちゃんのママからものすごく怒られた。


ももねちゃんとウチは違うんだから、って。


アヤちゃんの門限は5時だったのに、わたしはまだ遊びたいからって言って、7時半まで一緒にいてもらった。