あれ? そういえば……

和真さん、今までずっと一緒にいて、いろんな話もしたけど、ここで出会った時のことは、一度も聞かれたことがない。

それが和真さんの気遣いなのかな?



そんなことを思っていると、和真さんが切り出した。

「菜穂、俺、ずっと菜穂に隠してたことが
 あるんだ」

「隠してたこと?」

何だろう?

「一年前、ここで菜穂に会ったけど、俺が
 菜穂と会ったのは、あの時が初めてじゃ
 ないんだ」

「え?」

いつ、会ってた?

「二年前、この海でジェットスキーと
 ヨットが衝突して、ジェットスキーの
 運転手が投げ出された。
 ヨットに乗ってた男が飛び込んで必死に
 探したけど、なかなか見つからなくて、
 海上保安庁が来て、ようやく助け出した
 時にはもう、心肺停止の状態で……
 そこにその彼の名前を叫びながら縋り
 付いて一緒に救急車に乗る菜穂がいた。
 その3日後、彼の葬式で声も出さずに
 涙を流し続ける菜穂がいた」

どう…いうこと?

「1年前、俺はここに戒めのために来たんだ。
 あの事故を忘れないように、あの日と
 変わらない穏やかな海の写真を部屋に
 飾る事で、穏やかだから、左舷だからと
 安心しないように…… 」

左舷?

「あの時、ヨットに乗ってたのは俺なんだ。
 俺と仲間が3人。
 風もほとんどない穏やかな日だった。
 ジェットスキーが近づいて来てるのは
 気付いてたんだ。
 ただ、海上では相手の船を右側に見る方が
 迂回するってルールがあるから、当然、
 ジェットスキーが迂回してくれるものだと
 思って呑気に構えてた。
 ジェットスキーがこちらを見てないって
 気付いた時には、もうかなり迫っていて、
 それから慌てて帆の向きを変えて舵を
 切ったけど、風がほとんどない凪海
 だったから、間に合わなくて……
 助けようと海に飛び込んだけど、ジェット
 スキーが転覆したせいで泡が渦巻いていて
 前もよく見えなくて、すぐに見つけて
 やれなくて……
 本当に申し訳ないことをしたと思って、
 俺はヨットを辞めたんだ」

そんな……

和真さんがあの事故の相手だなんて……

「だけど、一年前、静かに泣く菜穂を見て
 俺が菜穂を笑顔にしたいと思った。
 菜穂にとっては辛い思い出に繋がるのは
 分かってたけど、俺はもう菜穂に
 惹かれてたから諦められなくて…… 」

そんなの……

残酷だよ。

剛士を忘れなくても和真さんと幸せになれると思ってた。

だけど……

「菜穂…… 」

和真さんが、私に手を伸ばすけれど、私は反射的に後ずさった。

「やっぱり、俺じゃダメか?」

和真さんが切なげに顔を歪める。

ダメっていうか、もうどうしていいか分からない。

昨日まで、和真さんが好きだと思ってた。

だけど……

「分かった。
 今までありがとう。
 タクシー呼ぶから、それで帰って」

和真さんはそれだけ言うと、踵を返して駐車場へ向かった。

私は、呆然と彼の背中を見送る。

彼が見えなくなり、私は一年前から転がる丸太に膝を抱えて座り込んだ。

今日も穏やかな海を眺めて、剛士に語りかける。


剛士、私、どうすれば良かった?


だけど、剛士は答えてはくれなくて……

ただ、涙だけが頬を伝った。


しばらくして、肩をトントンと叩かれた。

驚いて振り返ると、

「宇佐美様ですか?」

と尋ねられた。

制服からして、おそらくタクシーの運転手だろう。

「はい」

「藤谷様よりご連絡をいただき、お迎えに
 上がりました。お送り致します」

私は、運転手さんに促されるまま、のろのろと立ち上がる。

本当にこれでいいの?

和真さんと二度と会えなくてもいい?

とぼとぼと歩きながら自問自答する。