婚約破棄された悪役令嬢は、気ままな人生を謳歌する

「ビクター様が、どこにもいないですだ!」

 トーマスが慌て出したのは、ビクターが旅立って一週間目の晩だった。監視人のくせに、いくらなんでも気づくのが遅すぎる。

「脱走者が出れば、あっしが上から咎められます」

 食堂に駆け込んでくるなり青ざめるトーマスに、アンジェリ―ナは呆れたように言った。

「咎められるも何も、スチュアート様はビクター様が何も罪を犯されていないことを、もうご存知なのよ? そもそも、ビクター様がここに幽閉されていることの方がおかしいのです」

 昼前になってようやく起きたアンジェリ―ナは、ブランチの真っ最中だった。たっぷりのバターと蜂蜜を添えた、ララの焼いてくれたパンケーキ。

 バターも小麦粉も、定期的に送られてくる物資に入っていたものだ。相変わらずここには、充分すぎるほどの物資が定期的に運び込まれていて、アンジェリ―ナの生活を優雅に支えてくれる。

「まあ、それはそうですよね。でも、ビクター様がアンジェリ―ナ様を残してここから逃げ出されるなど、私には信じられません。何かよほどのことがあったのではないでしょうか?」

 ティーカップにデキャンタに入れたレモネードを注ぎながら、心配そうにララが答える。

 トーマスもララも、ビクターがアンジェリ―ナの命を受けてヤドカリ探しの旅に出ていることなど、知る由もない。

 アンジェリ―ナはレモネードの甘酸っぱい匂いをうっとりとしながら吸い込み、それを味わった。

「ビクター様も男よ。きっと、心変わりなさったのよ」

「スチュアート様ならともかく、ビクター様が心変わりするようには思えませんけど……。あれほど熱烈に、アンジェリ―ナ様に愛を伝えておいででしたのに」

 ララは、やはり腑に落ちていないようだ。

「愛なんて、私には不要よ。とにかく、ビクター様ともうお会いすることはないでしょう」

 にっこりと微笑むと、アンジェリ―ナは幸せな気持ちでパンケーキを頬張った。