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「あー……あったあった! ごめんね、付き合わせちゃって」


早朝の静かな体育館。

日中は煮え返るくらい暑くなるのに、まだ涼しいと感じられる空間に、朱里の声が響く。


「ううん、特に用事とかなかったし」


口ではそう言いながら、心の奥ではちょっとガッカリしてる。

だって……前原くんに『おはよう』って、言えなかった。


スニーカーを脱いで、上履きへと手を伸ばしていた前原くん。

朱里に声をかけられて、私が視線を戻したときには、彼の姿はなくなっていた。


驚いて大きな声を上げちゃったから、見ていたことに気付かれちゃったかもしれない。

声をかけるつもりだったんだけど、どう思われたかな……って、少し不安になる。


とりあえず、今日も挨拶すら出来なかったや……と、小さく肩を落としたときだった。


「……もしかしてさぁ、また前原に声かけようとしてた?」

「えっ」


他には誰もいない静かな空間に響いた、彼の名前と言葉。

私が返事するよりも早く、朱里は少し呆れたように息を吐いて。


「放っときなって言ったよね。男子のいじめなんて、そのうち飽きたらすぐ終わるよ」


「だから……ね?」と、まるで子どもにでも言い聞かせるように、朱里は私の頭を撫でた。