携帯電話は十一時二十三分を表した。

夏休み明けに学校生活に戻るのは難しいのに、学校生活から夏休みに慣れるのはどうしてこうも易いのだろうと、潤は密かに苦笑する。

クローゼットを開け、白の無地のティーシャツを取った。上を着替え、端に掛かっている青のジーンズを合わせた。

シンプルイズベスト――なんとしても高い枝に絡んだ風船を取りたいというような言い方をすれば、それが潤の私服の形だ。冒険はしない、流行には乗りも遅れもしない、特別にお洒落でなくていい。着て「似合わない」の言葉が出てこなければいいのだ。


リビングでは、静香が昨夜の残りのロールケーキを食べていた。静香だけでなく、両親にも好評だった。

「遅かったね」静香は言った。「なにしてたの?」

「……息してた」

「止めてればよかったのに」

「死ねと?」

「暇じゃなかったの?」

「意味もなく息を止める方が……暇というより切ねえ」

ねえ、と静香は言った。

「蜂蜜レモン」

「知ってっか? そのロールケーキ、蜂蜜もレモンも使ってんだぜ」

少しの間のあと、「蜂蜜レモン」と繰り返す妹の声に、潤は同じように自分の声を重ねた。

「はいはい」

「潤だって暇でしょう?」

「暇じゃあねえわ」

「忙しいの? あっ、もしや君ほどのお馬鹿さんは、夏休みの宿題に翻弄されているのかな?」

「翻弄はされてねえ。出されたから片付けてるだけだ」

「……飼い慣らされてる、学校に」

「自覚症状あり」

「よし。では共に、学校という闇の組織に対抗しようではないか。ふっ。なあに、案ずることなかれ。我が左目に宿りし神の力が覚醒の瞬間を迎えれば、学校なんざ敵にもならん」

おっと、と潤は苦笑した。

「その症状は去年のうちにどうにかしたかったね。もう三年生だよ」

「これは……性格だ」

「そりゃ救いねえ」


潤はグラスに、氷を三つ重ねた。蜂蜜とレモン果汁を入れ、冷蔵庫から取り出した水のペットボトルを振って水を注ぐ。

静香が初めて飲んだのはこの冷たい蜂蜜レモンだった。

潤は幼少期に風邪を引いた際に温かいものを初めて飲んだ。

夏に冷たいものを飲んだときは新鮮なうまさに驚いたが、それは冬に温かいものを飲んだ静香も同じだった。


潤はグラスの中で氷を濡らす蜂蜜レモンをダイニングテーブルに置いた。