透明な海



十織はまだ茶色の芝生に腰を下ろした。左後方に犬の呼吸と人間の足音が聞こえる。近づいてきたそれは、やがて右後方へ移動し、聞こえなくなった。

十織はゆっくりと息を吐きながら上体を倒した。

まだ十分に明るい空が視界を埋める。


遠くで鳥の声が聞こえた。

車の音、すぐ近くを走る足音、犬の息遣い、人の話し声――。

幸福感が優しく広がっていくのを感じた。

やがて溢れ出して全身を包んだそれは、まるで、優しく肌を撫で、髪を揺らすこの風のようだった。

幸せだ――。

風の音、人の声、車の音――雑踏という言葉に包まれるそれらの音が、十織は好きだった。それに意識を向けると、自分が生きていることを再確認できるようだった。

日頃自分の存在に疑問を抱くわけではない。確かに呼吸をし、空気の混ざり合いを感じ、人の声を聞き、話し相手がいれば、相手の言葉を理解してそれにあった言葉を自分なりに返して平穏に過ごしている。

それでも、時折窮屈に感じる。世界は無限だと肝に銘じて日々を過ごしているが、それでもだ。


人間らしい、と自分で思う。

充実しているはずの日常に、別のなにかを求める。

ある事実に必要以上に思考を巡らせ、自らよからぬものを抱く。


十織は深く呼吸した。

いつも、周りは輝かしく見える――。