透明な海



学校の空気は、実際の湿度よりも乾燥しているように感じられた。女子生徒の放つ雰囲気がそうさせた。

一年のうちこの一日は、世の男は大変だなと潤は思う。

この頃は甘いものが好きだと公言する男も少なくないが、そうでない男も当然存在する。

甘いものが好きでなくても、この日、異性に差し出されれば受け取るほか選択肢はない。わざわざ無難な言葉を探り、無難な理由を並べてまで断るのも面倒だろう。


バレンタインデー――意中の相手に甘いものを贈る日――。

誰がそんなものを作ったのだろうと潤は思う。

意中の相手に贈るものを甘いものと定めたことにはなにか理由があるのか。どうして甘いものだったのだろうか。


「まあ、別にいいんだけど」潤はぼそりと呟いた。甘いものが苦手であるわけではない。

もっとも、苦手であってもこの日に苦労することはないのだが――。


「なにがいいの?」

女の声が言うと同時に、声の主が顔を覗き込んできた。

「ああ、七瀬(ななせ)……」

「なにが別にいいの?」

「……別に。ところで、今日は平将門の命日だな」

「ああ……。えっ、そうなの?」

「ああ。頭に刻み込んでおくといい」

「うん、そうするよ」

「あと、岡倉天心の誕生日だ」

「へええ。……誰それ? おかくらてんしん? おいしそうな名前だけど。天津飯みたいで」

「岡倉天心を知らぬのか。あの横山大観や下村観山、菱田春草を育てた思想家だぞ」

「……ぎりぎり菱田春草だけは聞いたことある。早口言葉みたいだなって思ったの。前にテレビで特集みたいなのやっててね。なんか猫の絵描く人だよね」

「よく覚えておくといい」

「うん。なんか、バレンタインって結構いろんなことがあったんだね」

今じゃもう、などと言う七瀬の声を、潤は「お前」と遮った。

「……お前までそんなうかうかモードで登校してきたのか」

「なになに。闇の炎が見えるんだけど」

「まじふざけんなよ、お前まで……」

なになに、と七瀬は苦笑する。