透明な海



「それで?」十織は言った。

「ん?」

「アキは? 学校楽しんでる?」

「まあ、それなりに。ただ勉強が憂鬱でよお」

「起床時間の半分近くが憂鬱……」

「そうなんだよ。もうこんな生活続けてたら狂っちまう」

「適度に息抜きしないと。勉強はなんで嫌なの?」

「そりゃあ――ああ、なんて言っても十織には伝わんねえだろうなあ。わかんねえんだって」

「……そうか」

「わかるか? シャーペンだの色ペンだのが疲れ果ててるんだよ。もう働きたくねえよーつって」

「そうか」

「そうするとさ? こっちとしては疲れ果てた道具たちに無理強いするわけにはいかねえじゃんか。つうか、道具の疲れはこっちにもうつってくるし」

「そうだね」と十織は苦笑する。

「いやあ、おれとしてはただただ十織が羨ましいよ。勉強も別に苦じゃねえんだろ?」

「好きではないけど、やれと言われればやるよ」

「そりゃあおれだってなんだけど……」

ああ、といとこはため息のように声を吐く。

「なんか、やれっつわれればやるっつう、このスタイルさえなんか違うんだよなあ」

「そうかな。なんら変わらないと思うけど」

「じゃあこの差はなんだよ」いとこは泣きそうな声を作った。

「この通う学校の差は。同じ駅から同じ電車に乗って、同じ駅で降りて。なのに、そっから向かう場所が違うんだよ。お前はピラミッドの頂点に、おれは菱形の底に向かうんだ」

「菱形?」

「お前知ってっか? ピラミッドってよく言うじゃんか。下の方が広くて、上に行くにつれて細くなってく三角形」

「知ってるよ」

「そのピラミッドにはな、続きがあんだよ」

「続き?」

ああ、といとこは低い声で頷く。

「いっちゃん下のいっちゃん広いところ。ほとんどの場合、そこで話は強制終了されるじゃんか。古い携帯の『問題が発生しました』みたいな感じで」

「……そう、かな? うん」

「でも本当はそうじゃねえ。その下に、また同じピラミッドがあんだよ。でもそれは上で見えてるのとは形が逆なんだよ」

「上が広くて下が狭いってこと?」

「そう。逆三角形ってやつ。あれが、ピラミッドの下に続いてんだわ。ピラミッドのいっちゃん広いとこ。その一個下は、まだ同じ広さなんだわ。同じだけの人がそこにいるんだ。でも、その次からは、レベルが低すぎて逆に人が減ってく」

そんで、といとこは言う。

「おれはその第二のピラミッド――セカンドピラミッド……」

えっと、と彼は小さく挟んだ。

「地下とかって英語でなんて言うの?」

「えっと……アビス?」

「そう。そのアビスピラミッドの底辺に、おれはいるわけよ」

「うーん……。アキがそんなところにいるとは思わないけどなあ」

「七十越えがなに言うよ」

「学力がすべてじゃないと思うよ。他に超越した部分があるなら、それを磨けばいい」

「その『超越した部分』がねえやつはどうすればいい」

「『好きこそ物の上手なれ』、『道は好むところによって易し』、だよ。好きなことならあるでしょう?」

「ゲームとか、遊びとか、あと、娯楽とか」

「充分じゃん」

「いや、今言ったのほとんど同じなんだわ」

「一つで充分だよ。ゲームなら、だいぶ前よりゲーマーなる職業がある。極めても仕事にならないものなんて、ほとんどないんじゃないのかな」

「じゃあ十織は? なにを極めるんだ?」

「えっ?」――反射的に声を返してしまえば、いとこも同じように声を返してきた。

数秒ほど時間が止まったように感じられたあと、彼に「ぶつかる」と腕を引かれた。

「あっ……なに?」

はあと息をつくと同時に、いとこは十織の腕を離す。

「はいはい、おれが悪かったよ。いっつもそうだ。十織はちょっと踏み込むとぽやこんとしやがる」

「ああ、そう?」

「まあ、別にいいけどよ。おれも今日はわざと言ったところあっし」

行こうぜと言って歩みを再開するいとこに続き、十織も足を踏み出した。