潤はぱたんと本を閉じた。深く息をつき、ダイニングテーブルにそれを置く。
母と息子の愛を中心に描いた物語だった。深く歪んだ愛だった。
主人公の四十代の女は、息子のためならばなんでもするようなキャラクターだった。その愛と行動力はやがて、彼女を犯罪者に育て上げた。
自分の場合、なんのためならそこまでのことができるだろうと思った。
ためになるなら、罪を犯すことも厭わない――。
静香の存在が頭をよっぎたが、自分の犯す罪が彼女のためになる場面が想像つかない。
自分が罪を犯せば静香は犯罪者の妹になる。そのレッテルは生涯付きまとい、彼女の人生を狂わせるだろう。それを考えると、一番ためになるのはそばにいてやることではないかと思えた。
「どんな話だった?」静香が言った。
「最愛の息子のために罪を犯した女の物語」
「へえ。なにしたの?」
「……読む?」
「絶対嫌だ」
「オブラートを」
「歌で声揺らすやつ?」
「それビブラート」
「おもしろかった?」
「全然」
「相変わらず冷たいなあ。そんなんじゃ、罪を犯しても守りたいようなものもないでしょう」
「……そもそも犯罪がためになる場面がない」
「そうかなあ。例えば、大切な人が誰かを殺したいほど憎んでたら? だけど殺人は死刑になる可能性もある重罪。その人は人物Aの死を望んでいる。しかしそれを実現させれば本人も死んでしまう可能性がある。生かすも殺すも、その人にとってマイナスに働く。そうしたら?」
「……視界から消せばいい」
「殺すってこと?」
「なにも『人物A』のすべてを消す必要はない。『憎い人物A』が消えればいいんだ。なら、その人にとっての人物Aを変えればいい」
へええ、と静香は嫌な笑みを浮かべた。
「まさか潤の口からそんな綺麗な考えが飛んでくるとはねえ」
「……赤い雪でも降るかもしれないな」
「本当。妹感激だよ。なんで今まであんなに捻くれてたの?」
「相変わらず失礼なやつだな。今だって充分、静香から見れば捻くれてるしけがれてる」
「威張るところじゃないと思うんだけど」
「それがおれだ」
「承認欲求最強かよ」
「欲深いねえ」
「本当。罪深い」
「罪?」
「七つの大罪」
「それに承認欲求はない」
「強欲ってなかった?」
「いつの間にそんなこと覚えたのかねえ」
「『人間は学ぶ生き物だ』って先生が言ってた」
「なら兄は『人間は忘れる生き物だ』と言っておこう」
あーあ、と静香は心底嫌そうに言った。
「やっぱ雪なんか降らないよ。やっぱり潤、全然変わってないもん」
「当然だ。なにがあろうとおれはおれなんだから」
「ああそうですか。嫌だねえ、そんなふうにはなりたくないよ」
「精々現状維持に努めればいい」
「言われなくてもそうする」と言う静香へ「それ以上けがれたらもはやおれと大差ないもんな」と返す。
「あと三倍けがれたって潤レベルにはならないよ」と聞こえたが、潤は知らないふりしてマンダリンを手に取った。