ふ、のつくしあわせ

半ば歩き始めながら靴をはく間ももどかしそうな後ろ姿に声をかけても、最近「じゃあ」とか「うん」とか以外の返事がない。

むしろ話しかけても邪魔そうというかなんというか。


もう長いあいだ続いているのに、このどうしようもない不本意さには全然慣れない。


——用があったのに。


静まりかえった薄明るい部屋に、思う。


全然どんな用か自分でもよくわからないけれど、でも、わたし、用があったのに。


なにかが言いたかった気がする。たぶん。


おはようだったかもしれないし、頑張ってねだったかもしれないし、気をつけてねとか、いってらっしゃいとかだったかもしれない。

全然関係ない話だったかも。


でもきっとなにか用が、

だって、

でも、


どうして、


……わたしは、おくさんなのに。


結婚は人生の墓場だと言うひとを見る度、いまより若いころ、なんてつまらないことを言うんだろうと思っていた。


こんなに嬉しいことの連続なのに、どうして墓場なわけがあるんだろうって。


だって、結婚したいと思うほど好きなひとと、結婚したらずっと一緒にいられるじゃない。ふしあわせなわけがない。


……いまならわかる。


結婚するということは、好きなひとの好きなところがただ嫌わないための慰めや理由に成り下がり、嫌いなところばかり見つける悲しい時間の連続になってしまうということだ。

少なくとも、悲しいかな、わたしにとってはそうだった。


長年一緒にいると、どうしても嫌なところも見つけることになって、素敵なところより嫌なところの方がなんだか記憶に残ってしまう。


それから、お互い忙しいし人付き合いもあるし、何より仕事で疲れていて思ったより一緒にいられない。


もっと一緒にいたい、なんて子どもっぽい理由で結婚を決めたのは、きっと甘かったのだ。