お嬢様。この私が、“悪役令嬢”にして差し上げます。《追憶編》

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薄いトレンチコートを羽織る。

首元ひとつだけ開けたボタンの隙間から、朝の涼しい空気を感じた。
朝日が出たばかりの時刻の空はまだ夜の色を残していて、瑠璃色と暁の光が混じっている。

静かにベッドへと視線を落とす。

寝息を立てる彼女は、隣の温もりを探すようにシーツを抱きしめていた。毛布から覗く華奢な肩を優しくしまい、まつ毛を伏せる。


「…おやすみなさい」


扉の閉まる音が寝静まった屋敷に小さく響いた。


愛していたも、さよならも、幸せになってくれも言えなかった。

ただ、彼女の元を去る今だけは、糾弾も断罪もされない二人きりの夢から覚めないで欲しかった。


囁くように残した別れの言葉に、彼女の呼吸が一瞬止まったのは、きっと気のせいだ。


背を向けて部屋を出た後、メルは足を止めはしなかった。ただひたすら、自分の痕跡を残さぬように、振り向きもせずに歩き続けた。


もう、ここに戻ってくることは二度とない。

たとえ過去を捨てることになろうとも。禁忌を犯してまで愛した人がいようとも。

…ひとり、部屋に残った彼女が、声を殺して泣いていようとも。