さて。
第1回目の体外受精について少し振り返ってみたいと思います。
7個の卵子のうち、胚盤胞まで育った1つの受精卵なのですが。

移植後、一応、着床はしたんです。
しかし、その後うまく育たず、「化学流産」という扱いになりました。

妊娠判定には血液中の「hCG濃度」というのを測定して、ある程度の数値が出ていれば妊娠(着床)と判断されるのですが、その数値がいちおう出ているものの、一週間経っても、二週間経っても、ばーん!と上がっていかなかったんですよね。先生に薬を出してもらって、なんとかかんとか必死に引き止めた(笑)んですが、二週間後に先生に言われました。「たぶん、このまま流れて月経の経血と一緒に排出されるでしょう」と。その通りになりました。うーん、残念。さようなら80万円。←そこかい
いやいや、実際は落ち込みましたよ、私も人の子ですから。もうめっちゃ調べましたもんね、「hCG値、58、妊娠継続率」とか。そうすると、低い数値からでも無事に着床、出産に至っている方の体験談がいくつもヒットするわけです。そういうのを心の支えに日々を過ごしていました。キツイっすよ、やっぱり。育つか育たないかギリギリの卵を腹に抱えて(それと分かっていて)何週間も過ごすのは。

不妊治療をしていると、この「うまく育たなかった受精卵」に対して、ある種の負い目を感じる瞬間が多々あって(まぁだって、受精している以上は赤ちゃんの元ですもんね)、しかし必要以上に気にしていると、すぐに病んでしまうと思うんです。

わたしはものすごくドライな性格なので、「最低限、心拍確認を迎えるまでは、卵に人格を見出さない」とマイルールを決めていました。だってそんなのいちいち気にしていたら、こちらの身が持ちません。
この時、受精卵は経血と一緒に流れてしまいましたが、それは私が体外受精をしたから卵の存在を認識できたのであって、これまでも、もしかしたら同じような状況が体内で発生していたかもしれないのです。ていうか、多分していたはず。私が気づかなかっただけで。そしてそれは、なにも私に限った事ではないのです。だから、必要以上に落ち込まなくていい、と。 心に暗示をかけていました。

しかし。
しかし、ですよ。
こんな暗示をかけても、なお。
精神的にやられちゃうんですよねー。

この体外受精というのは、とにかく身体を薬漬けにして女性の自然なサイクルを操作しまくるので、お財布だけではなく(笑)身体にも相当の負担がかかります。ホルモン値を操作するので、妙に身体が火照ったり、怠かったり、頭がボーッとしたり、お腹は常にチクチクしていたり、卵巣が腫れたり、と。財布も痛いが、身体も痛いし、心も痛い。卵ちゃんごめんね云々もそうだし、友達との約束もドタキャンせにゃならん事が多々あったりして。

2回目の体外受精もダメだった時、はやくも私は立ち止まってしまいました。こんな辛い思いをしてまで(実際、寿命何年か縮んだんじゃないかと思っている)果たして本当に子供が欲しいのか?、と。
妊娠判定日、全く数値が出ていない結果表を握りしめて、車の中で涙が溢れ出てきて止まりませんでした。普段、全く泣かないんですよ、わたし。「こんなに頑張ってるのにどうして?」なのか、「ごめんね夫くん」なのか、なんの涙か自分でも分かりませんでした。
で、なんの涙か分からないけどボロボロ静かに泣いている自分に、「あ、こりゃマズいぞ」と思ったわけです。「相当疲れてる(病み始めてる)な、自分」と。そこんとこ、自分に甘い性分で良かったと思います。(笑)

そんな訳で、休もう!と決意しました。
はい。
休み、ました!

38歳。1ヶ月でも、1日でも、早く手を打つに越した事はないと分かっていましたが、休むことも必要だな、と。
で、不妊治療を休んでいる間に、仕事を減らしたり、他の病院へセカンドオピニオンを聞きに行ったり、と地ならしをしていました。
身体と心を休めつつ、ちょっと冷静になろう、と。後から振り返ると、勇気を持ってお休みした事が、良い効果をもたらした気がします。あくまでわたしの場合は、ですが。