「子どもを産まなくては。」

何かに追い立てられるようにそう思ったのは、2014年の暮れ。祖父の葬儀の帰り道でした。

ああ、これで私には「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼べる人は1人もいなくなっちゃったんだなぁ、と。なんかね、しみじみ考えてしまって。おじいちゃん、おばあちゃんって、みんな孫に優しかったなぁ、ああいう存在って、親とはまた違った在り方で私を守り育ててくれた人たちで、ほんとに有り難かったなぁ、と。
孫、、、孫、かぁ。
結果として、私が祖父母にひ孫の顔を見せてあげられなかったのは仕方ないとして、まだ健在な(私の)両親には、「孫」の顔を見せてやらねば、と思ったのです。

この時、私は36歳。

結婚はしたものの、それまで家庭より仕事を優先してきた私にとって、妊娠・出産とは、キャリアを妨げる障害でしかありませんでした。
実際、仕事も波に乗っていて楽しかったし、プライベートも充実していて、まだまだ、やりたいことが沢山あった。
しかし、30代後半になるとそう悠長な事も言っていられないんですよねー。
産める年齢には限りがあるから。

2人産むとして、2人目を40歳までに産むのならいますぐ取りかからなくては!…なんて、36歳の私は楽観的に考えてました。子供なんて、作る気になればすぐ出来ると思ってた。

しかし、いざ自己流に妊活しようとしても、夫婦の温度差があって、なかなか上手くいかない。夫は夫で、「そんな焦らなくても、ちゃんとタイミングを取れば自然に出来るでしょ。2人とも健康で若いんだし」(←この時点で既に若くないことを自覚していない)と謎の自信に包まれている様子。

こりゃダメだ。もう手っ取り早くプロの力を借りよう!と、不妊治療専門クリニックのドアを叩いたのが2015年の11月。37歳の時のことでした。