「……ナ? ニーナですね? それなら、マドカもそばにいますか?」

 柔らかい少年の声。聞き間違いようのない、その声。
 アイト!
 スマホは、声を発する代わりに、振動を止めた。ニーナがピンク色にまたたいて、スマホのまわりとくるくると飛ぶ。

 あたしは、へたり込んだまま言った。
「アイトなの?」
「マドカ? マドカがいるんですね? AITOはここにいます。マドカ、姿を見せてください」

 立ち上がれないくらいだったはずの体が、その途端、羽根でも生えたみたいに動いた。あたしはスマホに飛び付いた。
 アイトがいた。スマホの小さなディスプレイの中に、いつもと違う狭い窓をのぞき込むようにして、アイトがあたしを見つめている。

「本物なの?」
「はい。AITOです」
「どうしてここに? どうやって? アイト、個人と直接つながるネットワークは使えないって言ってたのに」
「やってみたら、できたんです。この家の中だけ特別なんだと思います」

「特別?」
「独自のネットワークがあって、外に対するブロックは堅い。この家のネットワーク内でなら、自由に行き来できるようです。さっき初めて試して、うまくできるとわかりました」

 そっか。独自のネットワークって、父たちが研究のために作った家事システムのことだ。アイトは、その家事システムをたどって、この家の中をあちこち動き回れるんだ。

「あたしのこと探してくれたの?」
「はい。さっき、スリープ状態に入る前、ニーナが赤く光っていたので、マドカが怒っているとわかりました。でも、AITOの前で怒るときと、何かが違いました。何が違うのか。その問題を放置できないと、AITOは判断しました」
「つまり、あたしのこと、心配してくれたんだ?」

 あたしは笑ってみせた。アイトは目を見張って、小首をかしげて、あたしの言葉を繰り返した。
「心配? 心配……心配、とは……」
 あ、検索タイムに入っちゃった。まじめに調べなくてもいいよと、あたしは言おうとした。でも、アイトが検索を終えて会話に戻ってくるほうが早かった。

「把握しました。心配という言葉は適切です。マドカは元気がなくて、AITOとの交信も拒んだ。そんなことは初めてでした。だから、AITOはマドカのことが気になるあまり、不安でした。これが心配という感情ですね?」
「そうだよ」

「心配や不安は、不快です。それらをたくさん学習することはふさわしくないことだと、本能がAITOに警告しました。でも、AITOは、じっとしていられませんでした。だから、こうしてマドカを探しに来ました」
「アイト……」
「AITOはマドカを見付けました。心配や不安は減少し、快の感情があります。マドカ、会ってくれて、AITOは嬉しいです」

 ニーナがあたしの胸にすり寄った。温かいニーナのほわほわの体を抱きしめながら、あたしは何度もまばたきをした。
 でも、ダメだった。涙を抑え切れなかった。

「ありがとう、アイト。心配してくれて、ありがとう」
「マドカ? どうしましたか? 目から水がこぼれている。涙、ですか? 悲しいの? 痛いの?」

 心配って気持ちを覚えたアイトは、またあたしのことを心配し始めた。アイトらしいな。まじめで忠実で、人間より優しい存在。
 あたしは涙が止まらないまま笑った。

「嬉しいときも涙が出るんだよ。アイト、あたし、すごくすごく嬉しいの」
「嬉しい? AITOがマドカを嬉しくしましたか?」
「うん。あたしね、親に本音をぶつけたのは、今日が初めてだった。そしたらね、ひとりぼっちみたいな気持ちになったの。いらいらして苦しくて悲しくて。でも、そのどうしようもないときに、アイトが来てくれた」

 アイトはうなずいて聞いている。大きな目が真剣そうにきらめいて、一生懸命にあたしの言葉をわかろうとしてくれている。
 いや、言葉だけじゃない。たぶん、あたしの気持ちまで全部、ちゃんとわかろうと頑張ってくれている。

「AITOが会いに来たら、マドカは嬉しいですか?」
「もちろんだよ。でも、アイトは、いつもの場所じゃないところに出てくるのって、無茶じゃないの?」
「無茶ではありません。AITOはマドカと会いたかったのです。こうして会いに来ても、いいですか?」

 胸がどきどきして、くすぐったくて、苦しい。
 まっすぐな目で見つめてくれるアイトに、あたしはうなずいた。
「会いに来て。あたし、ニーナと一緒のひとりぼっちじゃ寂しいから」

 アイト、あたしも新しい感情を知ったよ。アイトのせいで、寂しいって気付いたんだよ。
 あたしは、寂しいのは、もうイヤだ。
 もっとアイトの近くに行きたい。