思考モードが解けたアイトが、再びあたしに視線を向けた。
「ディープ・ラーニングって、聞いたことがありますか?」
「うん、知ってる。機械学習の一種だよね」
 アイトはうなずいた。

「例えば、アメリカのクイズ番組で人間のクイズ王を破ったAIがいます。イギリスには、バッハ風やベートーヴェン風の曲を作るAIがいます。オセロやチェスや将棋や囲碁の世界チャンピオンに勝てるAIがいます」
「その話、去年の英語の教科書に載ってた。二〇一〇年代後半に、どんどん出てきたんだっけ。今、いろんなところで、もっと実用的なAIも出始めてるでしょ」

「はい。例に挙げたクイズ王のAI、作曲するAI、ボードゲームに強いAIは、大きなくくり方をすれば、すべて同じ学習法を用いています。その学習法がディープ・ラーニングです」
「アイトも同じ?」
「それを模倣したやり方、という位置付けです。厳密にいえば、異なる可能性が大いにありますが、ひとまず今は、ディープ・ラーニングだと考えていてください」

 ディープ・ラーニングは、漢字で書くなら、深層学習だ。ちなみに、アイトがよく使う「学習」という言葉も、AIやコンピュータの正式な専門用語。

「アイト、ディープ・ラーニングって、どういう仕組みなの?」
 もしかして効率のいい勉強法のヒントにならないかな、と期待して訊いてみたんだけど。
「わかりません」
「は?」
 あたしは拍子抜けした。アイトは、人間っぽい仕草で、頭を掻いた。

「わからないんです。ディープ・ラーニングをおこなっているとき、AIの頭脳の中で何が起こっているのか、AIを設計して構築するエンジニアにも、さっぱりわからないんです」
「何それ?」
「人間の脳だって、そうでしょう? 学習や記憶のメカニズムは、最先端の脳科学でも解明されていません」

「それはそうだけど。でも、生物と機械は、造られ方が違うんだよ。機械は、設計どおりに造られて、予定されたように動く。その全部を、専門家はわかってるはずでしょ?」
「設計と構造は、エンジニアによって、完全に把握されています。しかし、構築されたネットワークの内側で何が起こっているのか、誰にもわかりません。AIの頭脳の成長のあり方は、人間の予測を超えています」

 何それ?
 ぞっとした。ニーナが色をくすませて、ディスプレイから離れて、あたしの背中の後ろに隠れた。ずるいよ、ニーナ。あたしも怖いのに。

 機械は、計算や検索が速いっていう意味では、人間より、はるかに頭がいい。
 機械は、例えば自動車や飛行機や電車みたいに、人間には出せない大きな力を出せる。
 機械は、電気やガソリンみたいな動力で働くから、万が一、自爆でもすると恐ろしい。
 そんな機械たちが、人間のコントロールを無視して、勝手に動き出したら?

 あたしは、ごまかすように笑った。
「AIが人間の予測を超えた動きをしてるって、SF系のホラーみたいだね」
「ホラーとは?」
「ある日突然、世界じゅうの機械が、人間の予測を振り切って、暴走したり反乱したりなんてしない?」

 アイトは、かぶりを振った。
「暴走や反乱を起こす意味がわかりません。現代の機械は、人間が制御しなければ動かないようになっています。第一、生きて動きたいという本能は、単純な機械にも備わっています」

「それも、機械の本能? 生存本能みたいなもの?」
「動いて、その動きを誉められれば、さらに学習を重ねたいと望むのです。さっき話したとおりですよ。マドカ、暴走や反乱だなんて、なぜそんなおかしなことを言い出すんですか?」

「だって、わからない相手って怖いもん。あたしがわからないだけじゃなくて、人間の中でもいちばん頭がいい人たちにもわからないって、それはすごく不気味で怖いことだよ」