夕方。私達は要塞の壁に身を隠していた。国境沿いの検問からは少し離れたところだ。検問所は、要塞の長く続く壁の一部が丸く切り取られたようになっていて、両端には、頑丈そうな扉がついている。

 片方は閉じられ、片方は開いていた。昼間は両方開いているらしいが、夕方は片方だけなのだそうだ。検問の扉は、日が沈むと硬く閉じられてしまう。

 検問所の上には四角い箱のような部屋があって、反対側、つまり町の外側の扉は広く開いているらしい。その部屋で憲兵は交代で休んで夜を明かすそうだ。
 そして言わずもがな、壁の上は、広いスペースがあって、憲兵や警察が歩き回っている。

「見つかっちゃったとしても、殺さないで下さいよ?」

 私はひそひそ声でアニキに念を押した。
 するとアニキは、苦笑しながら、

「大丈夫だって。すり潰すっつっても元々は、気絶させるだけの予定だったし」
(本当かなぁ?)

 私が胡乱気に眉を釣り上げると、アニキは「ホントだって!」と、小声で念を押す。私は一応軽く頷いて、信じましたとアピールした。

「翼さん、上手くやってくれますかね?」
「さあな。まあ、協力する気になってくれたのは意外だったけどな」

 アニキは薄っすらと笑みを浮かべる。

「嬢ちゃんがいるからだろうけどな」

 ぼそっと呟かれた声を、おそらく魔王が拾った。普通だったらわからないくらいに小さな声だったから。
(嬢ちゃんっていうか、魔王がいるからが正しいんだろうけど……)
 複雑な気持ちで小さくため息をつく。そこに、翼さんが検問所へやってきた。白矢とシンディを連れている。

 一気に緊張が高まるのを感じる。
(ううっ、胸がドキドキする)
 入国証があるからと言って、安心は出来ない。入国した日付を調べられたら、正規ルートで入国していないことがばれしてしまう。だから、憲兵に不信感を持たれないようにしなくちゃならないんだって、アニキ達が言ってた。

 翼さんは、ポケットから入国証を出した。憲兵に何やら尋ねられたのか、にこやかに話している。そして、憲兵に通るように促された。
(やった!)
 翼さんはそのまま門を抜けた。

 作戦はこうだ。
 翼さんが門を抜けたのを見届けた後、夜が深まるのを待って、もう一度ここへやってくる。
 頭上を歩き回る憲兵は全部で十二人。二人一組で歩いている。これらの憲兵が十数メートル離れたのを見計らって、翼さんが壁の向こう側から憲兵を倒す。
(どうやって倒すのかはわからないけど、自信満々だったから多分なにか策があるんだろう)
 そして、私達は合図を待って、壁をよじ登り、向こう側へ渡る。合図は液体が振ってくるらしい。(……なんかヤダな)

 壁は十五メートル以上は確実にある。
 こんなところ登れないと言ったんだけど、アニキに俺が抱えて登るから大丈夫だと強く言われて頷いてしまった。
 アニキは普通の人間とは違う。
 人一人をおんぶして、五十キロくらいのスピードで走るなんて普通じゃない。おんぶしてなくてもありえない。

「……アニキって、なんの能力者なんですか?」

 アニキが能力者なのは、おんぶされた張本人として実感してるし、雪村くんも言ってたから多分そうなんだろうけど、なんの能力者なのかは疑問だった。アニキは少し考える風にして、

「身体強化能力とでも言うんじゃねえのか? 生まれつき人より怪力だったり、足が速かったりするだけだな。シンプルだから色々と使いやすいけど、派手ではねぇかな」
「派手なのが良かったんですか?」

 十分すごいと思うけど。

「ん~別に。なくても良かったかなとは思うが、あっても良いかな程度だな」
「へえ……なんか、意外ですね。能力者の人ってその力が好きなのかなって、ぼんやりと思ってました」

 私だったら絶対自慢するしね。

「様々じゃねぇか? 俺はそんな感じだが、自分の能力が好きな奴もいるだろうし、反対に憎んでる奴もいるんじゃねえか」

「そんな人がいるんですか?」
「いるだろうな。能力によっちゃ。俺はガキの頃に能力で苦労した事もあったしな」
「そうなんですか?」

「ああ。考えてみろよ。怪力だぜ。ガキの時分なんざ、中々コントロール効かねぇからよ。遊びの最中にダチの骨を折った事もあったな。それでも手加減はかなりしてたんだぜ」
「そ……それは、大変ですね」

「だろ? 今でこそコントロールできるようになったが、それが出来るまでは、まあ、大変だったかな。ただ、俺は山賊生まれだからよ。この能力は重宝されてたけどな」
「へえ」

(やっぱり、普通じゃない能力があるって、苦労する事もその分多いんだろうな)
 そこで、ふと思った。
 毛利さんの部下を倒した時、アニキは大きな剣を持ってた。
 今までそれは能力で出したものなのかと思ってたんだけど、身体強化なだけだったら、それはないって事だ。

「じゃあ、剣を出すのは能力じゃないんですか?」

 アニキは、「剣?」と呟いて、思い至ったように声を上げた。

「ああ。あれはな、ちょっとしたからくりがあるんだ」
「からくり?」
「ああ」

 アニキは大きく頷いて、着物の袖から丸い金属を取り出した。
 大きさは私の手のひらと同じくらいのサイズで、アニキの手にはすっぽりと納まってしまう。
 その金属は古くてちょっと汚らしい。
 何やら、凡字のようなものが彫られていた。

「これはな、別の場所と繋がってんだ」
「え? 別の場所?」

 アニキは説明の代わりに、得意げな顔で金属をかざした。
 そしてその金属に手を当てると、するすると金属の中に手が入っていった。
(ええ!? なんで!?)
 金属は、あっという間にひじの部分まで呑み込んでしまう。びっくりしていると、アニキは手を引き抜いた。金属から柄が現れ、大剣が姿を見せる。
 アニキは全部を引き抜かず、半分まで抜いたところで剣を止めた。剣は、よくよく見てみると刃がない。
 潰れてしまったのか、もしくは、石で出来ているようにも見えた。アニキは、そのまま剣を押し戻した。剣は金属の中に姿を消した。

「な? すごいだろ」
「すごい! どうなってるんですか?」
「どうなってるかは俺にも分からん」
「ええ!?」
 わかんないの?

「こいつを手に入れたのは山賊時代だったんだが、こいつには対になる金属板があってな。どうやらそいつと繋がっているらしい。手に入れた時に一緒にもう一つ、小さな丸い金属板もあってな。その金属板を持ってる奴が金属板の間を移動できる事が判ったんだ。で、試しに剣の柄に埋め込んでみたんだよ」
「それで移動できるようになったんですね」
「そういうことだ」

 アニキは、うんと、大きく頷いた。
 そんな会話をしている内に、いつの間にか日が沈んで夜が訪れていた。私達は、いったんこの場を離れ、夜が深まるのを待つ事にした。