15年目の小さな試練

「泳いだことは一度もありません。早歩きもできないし、階段の上り下りも息が切れて、途中で休憩が必要です」

 淡々とハルちゃんは自身の事を語る。

「一年の半分とは言いませんが、三分の一は病院か自宅で寝て過ごしていると思います。毎日飲まなきゃいけない薬を止めたら、一週間どころか、三日後には死んでいるかも知れません。そんな身体だから、家族は私にかけるお金を惜しみません」

 ハルちゃんはおもむろにブラウスに手をかけると、上から順番にボタンを外した。

「胸を切っての手術の回数は片手じゃ足りません。胸元の空いた服は恥ずかしくて着られません。お腹まであるんですよ。見ます? これでも綺麗な方なんです。心臓血管外科の権威と呼ばれる先生方が執刀してくれたから」

 思わず止めようとすると、ハルちゃんは「大丈夫」と小さく微笑んだ。
 そしてまた、先生の方に向き直る。

 山野先生はハルちゃんの胸の傷を凝視していた。
 実際には下着があったから、下の方までは見えなかったけど、鎖骨の辺りから続く傷は俺にも見えてしまった。

 ハルちゃんは少しの間、先生を見つめると、そのままボタンを留めなおした。

「家族が私を大切に思ってくれて、私に惜しみなくかけられるお金があったから、今、私はここに生きているのだろうなと思います。先生はスルをする必要なんてないと仰いましたが、多分、私はこの環境でなければ、今、生きていません」

 ハルちゃんは微笑を浮かべた。

 その微笑みがあまりに綺麗で、そして寂しくて心が痛む。