夜明け3秒前

数学の授業が終わると、時間はあっという間に過ぎた。
もう夕方とはいえ、まだ気温の高い放課後。



「テスト終わってもうすぐ夏休みだからって、羽目を外すなよー」


「はーい、バイバイ先生」



学校が終わって嬉しそうなクラスメイト達が、教室を出ていく。
対して私はあまり嬉しくない。



「凛月、今日一緒に帰れなくてごめん!」



忙しそうに筆箱やらノートをかばんに入れながら麻妃が言う。
今日は急遽バイトの代わりを頼まれたらしい。



「ううん、全然平気だよ!バイト頑張ってね」

「ありがと!凛月、気を付けて帰りなよ」

「うん、麻妃も」



それだけ言うと、手を振りながら教室を走って出ていった。
彼女は走る姿も様になるな、とふと思う。



麻妃には平気だと言いながら、どこか不安を感じてしまっていた。


バイトだし、彼女は悪くないし、それどころか一緒に帰れないことを謝罪までしてくれた。


頭ではわかっているのに、感情を上手く制御できない。



……一人で、帰りたくない。



学校の中で麻妃と離れると、途端に不安になる自分が嫌になる。


ううん、そんなこと考えてる場合じゃない、私も家に帰らないと。
急がないといけないわけではないけれど、機嫌次第では母がグチグチ言ってくるかもしれない。


トイレだけ行って帰ろうかな、かばんを持って教室を出た。


廊下はクーラーが効いていないから暑い。
夏だから仕方ないけれど、長袖を着て歩くだけで汗が出る。


無意識に袖をまくろうとして手を止める。
はやく冬にならないかな。


そんなことを考えているとトイレに着いた。
ここは、学校のトイレにしては綺麗で新しいから好きだ。


個室に入ってカギをしめると、あははと楽しそうな声がすぐそばで聞こえる。
蛇口を捻ったような音がしたかと思うと、次いでジャーという水が流れるような音がした。



何してるんだろう、掃除かな?

そう考えた瞬間、



「……っ!?」



バシャーン!と水が私にかかった。



「あはは!びしょ濡れで帰るとかカワイソー」


「モデルの麻妃にかばってもらってるからって調子のんな」


「ざまあみろ、大して美人でもモデルでもないのに、麻妃とつるむからイジメられちゃうんだよー?」



きゃっきゃと楽しそうに話すと、パタパタと走っていく足音がして、そのまま遠ざかって行った。


私は何も言えず、しばらくそのまま動けなかった。
髪から水が滴って、ポタポタと地面に落ちる。


びしょ濡れだった。
髪と制服はもちろん、靴も靴下もかばんも。


初めてだった。
教室で笑われたり無視されたり、物が無くなったりしたことはあったけれど、こんな酷い目に遭うのは。



最悪だ。



今日は体育もなかったから着替えなんてもってない。
ハンカチならあるけど、こんなに濡れてたら気休めにしかならないだろう。


確かに暑いなんて思ってたけれど、今は冷水をかぶったせいで少し肌寒い。
このままだと電車になんて乗れないし、もし風邪を引いたら怒られる。


どうしよう。
考えなきゃいけないのに、頭が上手く働かない。



どうして私ばっかりこんな目に遭うの……



目の前のカギを開けると、何も考えずに走った。
もうこんな場所から逃げ出したかった。