「俺は別に、どうなってもいい。もう、失えるものは何もない」


渡辺くんの家族はわたしと同じくみんないなくなったと聞いている。


「わたしはまだ、どうなってもいいとまでは思えないな。やりたいことがたくさんあるんだ」


わたしはひとりぼっちだけど、そこまで投げやりにはなれない。


残念なことに、失うものはまだたくさんある。ここには懐かしい思い出が多すぎるのだ。


やさしい思い出も、馬鹿な笑い声も、きみも。


やまないねって雨宿りした第二体育館の軒下。

誕生日にカフェオレを奢ってもらった備えつけの自動販売機。

アイスを半分こした渡り廊下、友達と待ち合わせした駐輪場、お花見した校庭の桜、そこかしこで笑い声が響いてた吹き抜け。

荷物を持ってもらった踊り場、置き場所会議が白熱した扇風機、聞き慣れたチャイム、夕焼けが綺麗だよって言われて上げたブラインド。

雪の日に傘を半分こした裏門、同じ色のところだけ踏んでどっちが早くたどり着けるか競争しながら帰った歩道、いつもどこかの家の夕ご飯の匂いがしてた放課後の住宅街。


そういう、かつてまだ普通だったときの、何もかも。


……異常事態だなんて今は言っているけど、もしかしたらそのうちこれが普通に成り果てるのかもしれない。解決の兆しはいまだない。