ある極端な例の話



お母さんが出ていって、
片親の家庭で育って、それでも一生懸命頑張ってきた?
学生時代辛い思いをしても乗り越えてきた?


関係ない関係ない。


自分がどんな人生を送ってこようが、
「痛み」とやらを知っていようが、
どんなに「優しい」と言われていようが、


傷つけられる時は傷つけられるんだ。


次に書くことは、
私の勝手な偏見の、極端な思い込みだ。


彼とスタッフとの話をひっそり聞いていたが、
きっと、彼は幸せな家庭で育ってきたのだろうなあと思う。


多分、小中高と、たくさんの友達に
囲まれているのが当たり前だったのだろうなあと。
(実際は分からない。あくまでも想像だ)


しかし、そう考えると、


私はますます彼が許せなかった。


きっと彼は痛みを知らない人間なんだ。


だから、今まで人を傷付けても、
平気で知らん顔してきたのだろう。


鈍感な人間はいいよな。
傷付けても、傷付けられても、
くよくよしなくて済むんだから。
さぞ生きていくのが楽でしょうね。


(まさに偏見と思い込みのオンパレード。
実際、私は彼とまともに話したことがない。)


だらだら引きずりすぎだなあと、
自分でも感じることはある。


残念ながら同期でも何でも、
そういう人はいるのだという、やるせなさも覚えた。


途中感情的になりすぎて、
何を言いたいのか分からなくなってきたし、
論理が飛躍しているかもしれない。


本当に極端な例の話だが、


この経験から、
私は痛みを知って例え優しくなれたとしても、
良いことはないと思った。


優しい人を踏みにじるような人、
痛みを知らない人は幾らでもいるし、
優しい人を利用しようとする人さえいる。


自分が"痛みを知る優しい人間"とは
到底思っていない。


ただ、痛みも何も知らない人が、
痛みを知る優しい人を傷付けることが、
ものすごくしゃくにさわるのは事実だ。


まだたったの十数年しか生きていないし、
この先考えが変わることはあるかもしれない。


だが、あの用務員のおじさんの言葉は
いささか疑念が残る。


たかが一回の出来事で、とつくづく思うが、
どうしても「痛みを知れば優しくなれる」という言葉は
気休めにしか受け止められなくなってしまった。