忘れもしない、今から訪ねる取引先は、入社して、初めて金沢さんに連れられて行った会社。


一通りの研修は受けたけど、営業マンなんて、自分に本当に出来るのかなと不安一杯のまま、金沢さんに金魚のフンのようにくっついて、建物に入った俺は、売場で、目指す人にガチガチになりながら、出来立ての名刺を差し出した。


その名刺に目を落とした、その人は


「あれ、沖田くんって、ひょっとして、あの沖田くん?」


あの沖田くんって、どの沖田くんだよって、横で金沢さんは思ったらしいけど、初対面の人や見知らぬ人に、たまにそういう反応をされることがある俺は


「ええ、たぶん。」


と曖昧に笑顔で答えた。すると、その人は


「名前見て、そうじゃないかと思ったんだよ。俺、神奈川出身でさ、甲子園応援してたよ。」


と顔を輝かせて言う。


「ありがとうございます。」


と頭を下げる俺の横から


「沖田、なんだよ、甲子園って?」


と不思議そうに尋ねる金沢さんに


「金沢さん、知らなかったの?彼は甲子園で春夏連覇2回、我が郷土の誇り明協高校の大エース、沖田総一郎くんだよ。」


「そうなんだ。沖田、お前、甲子園球児だったのかよ、なんで黙ってたんだ。」


と金沢さんまで、興奮気味に言ってくる。


「いや、別に宣伝して歩くことじゃないですし。それに母校を郷土の誇りって、言ってもらえるのはありがたいですけど、僕は連覇の時は、エースじゃなくて2番手ピッチャーでしたから。」


だいぶ話を盛られてしまい、照れ臭かったけど、お陰で緊張もすっかり解けて、その後の商談もスムーズに進み、俺の営業マンとしてのデビュ-は大変恵まれたものになった。