「その、シエル様はマリウス様が嫌いなの?」 

突然現れた男は腹違いの弟を、受け入れるも撥ねつけるもシエル次第なのだ。

「好きとか嫌いとかじゃなくて。なんていうか、まだ受け入れられなくて。雰囲気は父に似ている。あれは先の国王の、父の子だと思う。間違いなく……俺の弟なのだろう」

やはり彼は分かっているのだ。回りくどい言い方をしなくても間違いなく血を分けた兄弟だと。

「きっとわたしとお兄様の間にある感覚のようなものかしらね」

「そうだろうな。兄の時はどうだったか覚えてないけれど、これが血の繋がりってやつなのかな。不思議だけれど」

「シエル様。緑の瞳と王家の紋章だけは動かぬ証拠、そしてシエル様が感じること。きっと、それでいいのだと思います」

はっきりしたことはなにも残していかなかった前国王。王妃すら知らないことなのかもしれない。もう真意を知ることはできないのだから、残された者たちが想像して理解していくしかない。
残した記憶と命は繋がっていく。出会ったのは運命だろうから。

「ひとりぼっちだと思っていたけれど、まさか弟がいたなんて不思議だね。もちろん驚いて戸惑った。不安だったけれど、嬉しい気持ちもあるんだ」

シエルがそんな風に思えることが幸せだなと、ノエリアは思った。嫌悪の気持ちじゃなくてよかった。

「シエル様がね、わたしを見つけてくださったことと同じだと思うの。マリウス様がシエル様にきちんと出会えたことって」

「そうか」

シエルは優しくノエリアの頭を抱く。
触れ合うのと同じくらいに話していたい時間だった。ノエリアが深く抱きしめると大きな手が頭を撫でてくれる。「ノエリア」と名を呼ばれて体を離すと、頬を両手で包まれてそして温かな口づけを受ける。

できればベッドに運んで欲しいのに、シエルは性急にノエリアの体を求めてくる。服を剥がすようい脱がせて素肌に甘やかな吐息と熱が当たるからぞくぞくと身震いが走る。いまは少しの時間でも惜しいから、その気持ちが分かるからノエリアも応えたいと思う。

しばらくして、ノックがして「ノエリア様、夕食のお時間ですが」とサラの声が聞こえる。びくりと体を震わせたノエリアだったが、シエルの刺激のせいなのか驚いたからなのか。いま入ってこられたらみだらなところを見られてしまう。

「先に、行っていて。いま取り込んでいるので」

乱れそうになる呼吸を整えながら言葉を出すのは苦労する。

「左様でございますか。承知しました。なにかありましたらお声がけください」

「う、ん、分かったわ。あとから……」

苦労して返事をしているのと、シエルは胸元に舌を這わせながら楽しそうに見ている。敏感な部分を刺激してくるから声が詰まる。

「シエル様がいるから……もしかしたら、行けないか、も」

サラに聞こえたかは分からなかったけれど。シエルはノエリアを下から熱っぽく見上げて目を細めた。

たぶん夕食の席には行けそうもないなと思った。


ふとした空気の動きで目が覚めた。少し開いたカーテンの外はまだ暗く、夜明け前であることが伺える。いつのまに移動したのか、眠っていたのはベッドの上だった。視線を移動させると、ガウンを羽織るシエルの背中が見えた。

シエルに捕まりそのまま深夜まで離して貰えなかった。だから夕食に行けず、空腹を覚えていた。彼もそうなのだろうか。

「シエル様?」

「目が覚めたのか」

「どうしましたか?」

緊張を孕んだ彼の雰囲気を感じてノエリアは少し不安になる。シエルはベッドに腰掛け、体を起こした裸のノエリアを抱きしめる。

「ノエリア、よく聞いて」

先ほどまで繋がれた体はゆるゆるとまだ熱く、シエルのぬくもりをまだ離さない。このまま朝まで一緒に眠っていたかった。

「ソラゾ兵の一部が国境を越えたとの情報が入った。俺はリウ率いるドラザーヌの騎士団とマリウスの隊と共に、これからここを発つ」

もしかしたらと予想はしていたが、驚きと不安が一気に押し寄せてくる。少しの希望と絶望とが混ざった不快な感情だ。

「いまから、ですか……」

唇が震えてうまく言葉が出ない。

「戦える者は連れて行く予定だ。マリウスはガルデに援軍を要請し総兵力一万五千。対するソラゾは五千と聞く」

詳しいことはなにも聞かされていなかったので、数字で現実を突きつけられた気分だった。

「そして、ここに俺もリウも信頼を置くひとを呼んである。俺たちがいない間はきみをそのひとたちに頼むから、一緒にいるように」

たとえ有能で優秀な諸侯を王都に集めたとしても、シエルの絶対的な安心感には敵わない。行かないで欲しかった。ここにずっといて欲しい。

「俺の大事なひとだから。戦いの前にきみを妻に迎えたかった。この戦いが終わったら必ず婚儀を。正式にきみを妻にする」

準備期間なんかいらなかったんだ、シエルが呟く。

「大丈夫です。わたしはもうあなたのものです」

「絶対に帰ってくる」

待って、待ってほしい。わたしの準備ができない。けれど、それを口に出すことはできない。
シエルはこの国を守らねばならないのだから。
すっぽりとかき抱かれて、顔がよく見えない。頭の上にキスが落ちて、シエルがすっと鼻で息を吸う音が聞こえたから同調するように彼の胸の匂いを嗅ぐ。

ノエリアは気付かれないように涙を指で拭った。
行かないでと泣いて縋れたならよほどいい。でもできない。


夜が明けきる前に黒いマントに身を包む一隊が北側へ進むのを部屋の窓から見送っていた。雪がチラチラと舞い、松明が点々と灯されたどこにシエルが愛馬のペルラに跨っているのか分からない。

森の中へ続くひとりひとりが、誰も欠けることなく戻ってくることを祈るしかない。
うっすら明けゆく空は、小雪は舞えども意外なほど明るかった。

まだ暗くていい。闇が彼を隠してくれるだろうから。