静けさを割り、シエルが口を開いた。

「……きみの母上はお元気なのか?」

前国王、シエルの父はガルデ王国にたびたび訪れている。その先で見初めた女性がいたのだろう。迎えることはなかったのはどんな理由があったのだろうか。

「少し、俺の話をさせていただいても?」

マリウスの問いかけにシエルは頷いた。

「ガルデ王国の騎士団には貴族と庶民それぞれ枠があります。俺が庶民枠の見習いになったのが十五のときですが、それを見送るようにして亡くなりました。胸を患っていましたので。もう十年経ちます」

「気の毒だったな」

「俺の母は、伯爵家の使用人でした。ドラザーヌ前国王が懇意にしていた貴族の中に母の働く伯爵家がありました。ある日、前国王の訪問があったときに母は国王の膝の上にお茶をこぼしてしまったのが出会いだそうです」

優しいまなざしで昔話をするので、まるで物語を読んでいるようだった。

「相手は国王。もちろん母は命がないものと思いました。しかし、母が火傷をしなかったかと逆に心配されて優しい方だと思ったそうです。母は俺からみても美しかったし、その……」

マリウスはそこまで言って、シエルの様子が気になったのか言葉を切る。しかしシエルはさほど気にもしないようだった。

「も、申し訳……」

「気にしなくていい。父とは親子の情がまったくなかったわけではないが普通よりは希薄だったかもしれない。尊敬はしているがどこで子を作ろうが俺には関係ない」

シエルの雰囲気には自棄になっている様子はなく冷静に発言をしているようだった。

「父上のほうも惚れてしまったのだろうな」

ノエリアを見て「美人が好きなのは血筋か」とおどけるように首を傾げた。

(自分の父親が、妻のほかに女性と関係して生まれた腹違いの弟を目の前にしてどんな思いでいるのかしら)

シエルが眉一つ動かさないのは国王としての役割から来ているのであって、心の内はどのようなものかと心配になる。
目の前に湯気の立った紅茶、焼き菓子が数種類、ジャムも苺と林檎が用意されている。このジャムはノエリアが仕込んだものだ。

(マーマレードは切らしてしまったからまた厨房を借りて作ろう)

シエルが近くにあったジャムの瓶に手を伸ばしスプーンでひとさじ紅茶に入れる。なんとなしに向かいを見たら、マリウスも苺ジャムをカップに入れているところだった。

「おふたり、同じことをしていますね」

リウに向かってつい言葉にしてしまったが、シエルとマリウスはお互いスプーンでかき混ぜたあとにまるで睨み合うように視線を合わせ、そしてひとくち飲んでふっと笑顔になった。ふたりが笑顔を見せたことでノエリアはほっとした。

「マリウス、と呼んだらいいか」

「結構です。シエル陛下」

立場が違うから、マリウスは兄と呼ばない。
慕っている様子はうかがえるので呼びたいのかもしれなかったが、シエルがいいというまでは許されないだろう。

「それだけでわざわざ騎士団を率いて俺に会いに来ただけではないだろう。ほかに用件は」

シエルの言うとおりだ。最初の事態が衝撃的過ぎたために皆がそれぞれに麻痺している。シエルは冷静だ。

「申し訳ありません。もうひとつございます。連絡無しに出向いたのは、情報が漏れることをガルデ国王が嫌ったからです」

「ガルデ国王が? なぜそんな重要な話をもっと先にしないのだ。緊急なのか」

シエルはマリウスに厳しく言った。マリウスは頭を下げるも

「国王も大事ですが、俺はここまで来るためにやっと騎士団長になったんです。庶民枠で団長までなるのは前代未聞だとお褒めをいただいたんです。そしてこの任務。ようやく兄上に会えるようになったと思ったら嬉しくて」

顔を赤くして熱っぽく語るマリウス。まるでたてがみみたいな髪が嬉しさに揺れているようでノエリアはふっと微笑んだ。するとマリウスと視線が合い、彼は耳まで真っ赤になって下を向いた。

(兄上って言ったわ)

ノエリアはシエルの横顔を見た。なぜかシエルも耳が赤くなっている。
マリウスは優先順位を多大に間違えていると思うが、遠路はるばるここまで来てそして腹違いの兄であるシエル、国王に会うことができたのだ。シエルも特別責め立てる気はない様子だった。ひとつ咳払いをしてシエルが促す。

「……分かった。で、ガルデ国王の話とは?」

マリウスが居住まいを正す。

「ソラゾ王国をご存じでしょう」

「火山の国だな。そこがどうした」

ノエリアも、ソラゾ王国の名前は知っていた。ドラザーヌよりももっとずっと北にある国で規模と人口はざっとドラザーヌの半分。

「ドラザーヌ侵攻の情報を入手しました」