そして翠がそれに気が付かない訳が無かった。
「あまつこと持たず、されど……」
予想通り翠の声はすぐに途切れた。
ドンッ――――刹那、床を叩く音が響く。
「っくそ……!」
絞り出すような声は、震えていた。
(ああ、翠が泣いてしまう)
涙を伴わない慟哭を感じてしまい、カヤはもう翠を独りにしておけなかった。
ゆっくりと布を捲り、静かに部屋に入る。
紺色に溶けた宵闇の中、翠は祭壇に向かって項垂れていた。
翠の背中に向かって歩を進めると、きしり、と床が小さく軋んだ。
その音に、翠の肩がぴくりと反応する。
「っ、だから一人にしてくれって言っただろ……!」
憤ったようにこちらを振り返った翠は、すぐに息を呑んだ。
「……カ、ヤ……?」
部屋に入ってきたのが先ほど言い争いをした弟では無く、カヤだったためだろう。
驚愕したように見開かれた眼は、ゆらゆらと揺れながらカヤを映している。
「翠……」
暗闇に佇む翠が、思いのほか独りだったからだろうか。
彼の名を紡ぐ声に、憐れみを含んでしまった。
聡い翠は、すぐに気が付いた。
「……もしかして、タケルとの会話聞いてたのか?」
「……ご、めん」
俯きながら謝ると、翠は「うん」とだけ言う。
そしてカヤから顔を逸らせると、再び祭壇に向き直った。
「聞いてたなら分かると思うけど、一人にしてくれ」
その背中は、タケルだけで無くカヤをも静かに突き放す。
カヤはその場を動かなかった。
否、動けなかった。
翠は本当に一人になりたいのかもしれない。
けれどカヤが去った後、果たして翠の心が安らぐのだろうか?
苦しみだろう。悲しむだろう。
そんな泣きそうな背中を向けられれば、痛い程に分かる。
カヤが次に歩み出した時、行き先は出口では無く翠の方だった。
そして頑なな背中の、ほんの近くに膝を付く。
「こっち向いて、翠」
優しく呼びかけてみるが、彼からは無言の返答しか返ってこない。
「ねえ、翠……」
そっ、とその背中に指の先を触れさせた。
「っ触らないでくれ!」
バシッ―――――右手に、熱い痛み。
思い切り手を振り払われた。
「あ……」
自分でも笑えるほど傷付いたのが分かって、それを分かった翠が傷付いた事も分かった。
ぐちゃり、と歪んだ。翠の瞳が。
振り払われた指がじんじんと熱くて、けれどそれ以上に翠が痛がっている事の方が、痛かった。
――――耐え切れず、泣き叫ぶ瞳ごと抱き締めていた。
「……カヤ、放してくれ」
上から落ちてくる頼りない声。なんて声を出すんだ。
「放さない」
ぎゅうぎゅうと腕に力を込めて、拒絶の言葉を拒絶した。
ただただ、しなやかなはずの背中が、あまりにも強張っている事が恐ろしかった。
「あまつこと持たず、されど……」
予想通り翠の声はすぐに途切れた。
ドンッ――――刹那、床を叩く音が響く。
「っくそ……!」
絞り出すような声は、震えていた。
(ああ、翠が泣いてしまう)
涙を伴わない慟哭を感じてしまい、カヤはもう翠を独りにしておけなかった。
ゆっくりと布を捲り、静かに部屋に入る。
紺色に溶けた宵闇の中、翠は祭壇に向かって項垂れていた。
翠の背中に向かって歩を進めると、きしり、と床が小さく軋んだ。
その音に、翠の肩がぴくりと反応する。
「っ、だから一人にしてくれって言っただろ……!」
憤ったようにこちらを振り返った翠は、すぐに息を呑んだ。
「……カ、ヤ……?」
部屋に入ってきたのが先ほど言い争いをした弟では無く、カヤだったためだろう。
驚愕したように見開かれた眼は、ゆらゆらと揺れながらカヤを映している。
「翠……」
暗闇に佇む翠が、思いのほか独りだったからだろうか。
彼の名を紡ぐ声に、憐れみを含んでしまった。
聡い翠は、すぐに気が付いた。
「……もしかして、タケルとの会話聞いてたのか?」
「……ご、めん」
俯きながら謝ると、翠は「うん」とだけ言う。
そしてカヤから顔を逸らせると、再び祭壇に向き直った。
「聞いてたなら分かると思うけど、一人にしてくれ」
その背中は、タケルだけで無くカヤをも静かに突き放す。
カヤはその場を動かなかった。
否、動けなかった。
翠は本当に一人になりたいのかもしれない。
けれどカヤが去った後、果たして翠の心が安らぐのだろうか?
苦しみだろう。悲しむだろう。
そんな泣きそうな背中を向けられれば、痛い程に分かる。
カヤが次に歩み出した時、行き先は出口では無く翠の方だった。
そして頑なな背中の、ほんの近くに膝を付く。
「こっち向いて、翠」
優しく呼びかけてみるが、彼からは無言の返答しか返ってこない。
「ねえ、翠……」
そっ、とその背中に指の先を触れさせた。
「っ触らないでくれ!」
バシッ―――――右手に、熱い痛み。
思い切り手を振り払われた。
「あ……」
自分でも笑えるほど傷付いたのが分かって、それを分かった翠が傷付いた事も分かった。
ぐちゃり、と歪んだ。翠の瞳が。
振り払われた指がじんじんと熱くて、けれどそれ以上に翠が痛がっている事の方が、痛かった。
――――耐え切れず、泣き叫ぶ瞳ごと抱き締めていた。
「……カヤ、放してくれ」
上から落ちてくる頼りない声。なんて声を出すんだ。
「放さない」
ぎゅうぎゅうと腕に力を込めて、拒絶の言葉を拒絶した。
ただただ、しなやかなはずの背中が、あまりにも強張っている事が恐ろしかった。
