忘れられない言葉がある。あの日、私の前に立った夫は言った。


『苦しめてすまなかった。』


誰が苦しんだの?誰が誰を苦しめたの?私はあの時まで、苦しんだことなんて、なかった。愛する人を裏切った当初に抱いていた、後ろめたさなんて、いつしか消え去ってしまっていた。


(私が本当に愛しているのは夫1人。その気持ちが揺るがなければ、あとはバレさえしなきゃ、大丈夫。)


本気でそう思っていた。本当に苦しんでいたのは、そんな思い上がった気持ちで日々を過ごし、なんら省みようともしない妻を、切り捨てることも出来ないまま、1年近くの時間を過ごした夫以外にはいないはずだ。


なのに、恨み言ひとつ、口にすることなく、夫は去って行った。自分が愛し切れなかったから、妻に寂しい思いをさせてしまった。すまないことをした、たぶん夫は本気でそう思っていたのだろう。


そして、それから5年。私が勝手に夫の幸せな人生を想像し、悲劇のヒロインを1人演じてる間の、夫の苦闘の日々。私が一緒にいれば、私が側にいてあげられれば、たぶん味合わなくて済んだはずの辛酸を舐めてきた。


進退極まった夫が、私の前に再び現れた時、復讐の鬼と化していた。脅され、身体も奪われた。


でも、それとて私の自責の念を少しでも和らげたいと思うがゆえの演技であり、そして、結果的には、私達の再度の結びの神となった娘を授かることになった。私が夫にいくら恨まれても、仕方がないけど、私が夫を恨む筋合いなど、少しもないのだ。