それから、あの不思議な少年に会うことはなかった。

本宮殿にはあれから一度だけクレメンス様のお供で行くことができたけれど、残念ながら少年の姿を見ることは出来なかった。

(やっぱり名前が分からなくちゃ、そう簡単には会えないよねぇ……)

そう考えてクレメンス様やゲンツさんに本宮殿にいる不思議な少年のことを聞こうとしたけれど、彼に口止めされたことを思い出して留まった。

結局あの少年には会えず、その正体を知ることもなく、ウィーンは夏を迎えた。

この時代、王侯貴族は夏になると避暑地へと移動してしまう。

皇帝一家も、同じウィーン市内ではあるけれど、郊外にある夏の離宮シェーンブルン宮殿に住まいを移すのだ。

そしてクレメンス様もシェーンブルン宮殿に通う傍ら、夏が本格化するとウィーンにほど近い温泉地バーデンの別荘に腰を据えるようになった。

十月にはイタリアのヴェローナで国際会議が行われ、クレメンス様は議長を務める。その準備があるので夏季休暇中バカンスに耽るという訳にもいかないのだけれど、バーデンでの日々はウィーンにいるときよりはだいぶのんびりと過ごせたように思う。

クレメンス様いわく、バーデンの温泉は怪我や病気だけでなく肌にも抜群にいいらしい。

なるほど、だから毎年来ている彼はそんなに美しいのかと妙な納得をし、一緒に連れていってもらった私はあやかりたいとばかりに仕事の合間を縫っては、せっせと入浴と飲泉をしにいった。

そんな感じで、私がこの世界に来てから初めての夏が終わり、季節は本格的な社交界シーズン及び政治の季節へと移っていく。