実際ナポレオン二世はオーストリアに連れてこられてからは、クレメンス様の命令で王都ウィーンから出ることをほとんど許されず隠されるように暮らしているらしい。

現在十一歳の彼は王族の一員として南ドイツにあるライヒシュタットの領地を形ばかり賜り、通称「ライヒシュタット公」と呼ばれている。

「悪魔と皇室の青い血を引く王子、ライヒシュタット公か……」

なんともすごい存在がいるのだなと、自室のベッドに寝そべりながら電子辞書を調べていた私は、つくづくと独り言をつぶやいた。

運命に翻弄されたとしか言いようがない、こんなドラマチックな人物が歴史上いただなんて、今までちっとも知らなかった。

しかも、これはクレメンス様やゲンツさんには絶対に言えないことだけれど、電子辞書で調べたところライヒシュタット公は1832年に二十一歳の若さで亡くなる。死因はゲンツさんが噂で聞いた通り、肺を病んだそうだ。

次期フランス皇帝の座を約束されて生まれながらも三歳でそれを失い、ハプスブルク家の一員として迎えられるも悪魔の子と畏れられ、ウィーンの王宮で籠の鳥のように生き、偉大な血を持ちながら歴史になんの爪痕も残せず、たった二十一年の人生をはかなく散らした王子――か。

歴史に名を遺す人物は、皆、波乱万丈な人生を歩んでいる。けれど、これほど私の心に深く印象を残した人物は初めてだった。

生い立ちがあまりにもドラマチックだから? それとも籠の鳥のまま一生を終えたことが可哀想だから? どうして会ったこともないライヒシュタット公にこんなに心惹かれるのか、自分でも分からない。

(会ってみたいな……)