ナポレオンのことを語るゲンツさんの瞳には、炎が宿っているように見えた。
憎しみ、敵対心……だけではない。歴史に名を刻んだ偉大過ぎる男への恐れと憧れまでも、入り混じって燃えているみたいだ。
「調子に乗ったナポレオンはヨーロッパ中を荒らしまわったもんさ。1814年にようやく奴が大戦に負けて失脚したときには、ヨーロッパ全体がすでにボロボロだった。繰り返された戦争のせいで男どもは死に、財政は圧迫し、人手不足で畑は荒れ放題。もちろんこのオーストリアもそうだ。その爪痕は今でも深く残っているうえ、昨年から農作物が不作続きときている。つまり――今現在、うちの国は王宮から庶民までみーんな貧乏で飢えてるってことだ」
「そうだったんですか……」
ナポレオンとの大戦が長く続いていたことは知っていたけれど、終戦から八年経った今でもそんな影響をもたらしているとは思わなかった。
なるほど、フランス以外の国で『革命の申し子』だなんて英雄扱いすることがタブーなのも頷ける。ナポレオンのせいで土地や人命を奪われ、未だに貧しい暮らしを強いられている国々から見れば、彼は確かに『悪魔』に見えるだろう。
もちろん彼はただの『悪魔』なんかではなく、憲法の範ともいえる『ナポレオン法典』を残すなど、偉大な功績もたくさんあるのだけれど。まだ爪痕の癒えていないヨーロッパ諸国ではそれを評するどころではないことぐらい、容易く想像がつく。
「まあ、皇帝陛下の食卓でさえ品数が減っているって話だ。それなのに俺達臣下がバカスカ飲み食いするのも確かに憚られるけどよ。でもだからってメッテルニヒの奴はやりすぎだ。この間なんて昼にビスケットとチーズとソーセージとミルクしか出してもらえなかったんだぜ? ウィーンの庶民の方がまだいいもの食ってるってんだ!」
ゲンツさんの話を聞いて、私はようやくメッテルニヒ邸の食事がわりと質素な理由を知ることができた。



