「メッテルニヒのやつ、世間体を気にしてんのか知らねえが昼食会や晩餐会以外じゃロクな飯出さねえからな。仕事のやる気が起きやしねえ」
私の腕を引きながら屋敷を出たゲンツさんは、そんなことをブツブツと零す。
世間体を気にしてるってどういうことだろう?と不思議に思っていると、私の視線に気づいたゲンツさんが腕を掴んでいた手をパッと離してから、「そうか。お前はウィーンに来たばっかりだったな」と頭を掻いた。
「ええと。異国のお前さんでもナポレオンのことくらい耳にしてるだろう?」
「はい。革命の申し子といわれているナポレオン・ボナパルトですよね」
世界史では五本の指に入るくらい有名な人物なので、さすがに分かる。ナポレオン・ボナパルト。軍人として圧勝を重ねついに皇帝にまで昇り詰めたフランスの大英雄だ。今から八年前の1814年に対外戦争で負け失脚するまでフランスの王座についていたので、時代的に彼の活躍はまだ記憶に新しいところだろう。ちなみに電子辞書で調べたところによると、彼は昨年五十一歳という若さで亡くなっているらしい。
意気揚々と私が答えると、ゲンツさんは何故だか顔をしかめてしまった。
「革命の申し子……ねえ。その名前はヨーロッパじゃ口しない方がいいぜ。ましてやメッテルニヒの前ではな」
そう言われて、クレメンス様が中心となってヨーロッパ中に進めている『ウィーン体制』が、革命を弾圧する考えだったことを思い出す。
ハッとして口を手で押さえれば、ゲンツさんは苦笑いをしてからは話を続けた。
「まあ、お前の言う通りなんだけどな。十八世紀末にフランスで革命が起きてフランスは王政から共和政になった。しばらくは恐怖政治やらなんやらでゴタゴタしたけど、そこに現れたのがナポレオンだ。パリの暴動を抑えたのを皮切りに、次々と対外戦争で勝利を収め、一躍フランスの英雄となった男だ。……けどな、フランスにとっちゃ英雄でも他の国から見たら奴は悪魔だ。ウィーンでも『コルシカ(ナポレオンの出生地・コルシカ島)の悪魔』なんて呼ばれている」



