「あ」

ある日、本宮殿の廊下を歩いていた私は前方から歩いてきた人影を見て、思わず顔をしかめそうになった。

けれど気を取り直し堂々と顔を上げると、その人物に向かって「こんにちは、ゲンツさん」と声をかける。

しかしというか案の定というか、ゲンツさんはこれでもかというくらい不機嫌なオーラを放ったまま、仁王立ちで私の進路をふさいだ。

「よう。考えは変わったか?」

「……変わってません」

ヒヤヒヤしながらも率直に答えれば、ゲンツさんはますます不機嫌オーラを全開にして「大馬鹿野郎!」と怒鳴り声を廊下に響き渡らせた。

「いつまでくだらねえことやってるつもりだ! このスットコドッコイ!」

「大公妃秘書官の仕事をくだらないとはなんですか! 大公妃に対する不敬ですよ!」

「そういうこと言ってんじゃねえ! くだらねえのはお前の根性だ! メッテルニヒと喧嘩したくらいでコロッと鞍替えしやがって! つまんねえ意地張ってねえで、さっさとメッテルニヒに土下座して宰相秘書官に戻れ!」

「喧嘩じゃありませんってば! それにもう決めたんです、私は大公妃秘書官長として頑張っていくって!」

「お前はヨーロッパ一の大馬鹿野郎だ!!」