「ライヒシュタット公はどこの国王にも、門は閉ざされている」

フランツ一世皇帝陛下がそう宣言したのは、ゾフィー大公妃達がギリシャ王就任の提案を上奏した僅か一週間後のことだった。

ゾフィー大公妃を始めギリシャ王就任が実現すると信じていた人達は、落胆を通り越し信じられないものを目の当たりにしたように呆然としていた。

ライヒシュタット公のギリシャ王就任は確かに充分な可能性があっただろう。――提案の直後に、フランスから国王就任の要請がなかったならば。

〝七月革命〟という名で歴史に残っているフランスの二度目の革命は、この世界では五ヶ月も早い二月に起こった。

プロケシュ少尉の言っていた通り、フランスの名だたる将軍達からライヒシュタット公への正式な国王就任の要請が来て、ホーフブルクの空気は一変した。

「今、ライヒシュタット公を国外に出す訳にはいきません。フランスの王座につくことはまずあり得ませんが、それ以外の国も駄目です。フランスの革命の余波がヨーロッパ中に広まっている今、彼を新しい国の王に据えることは革命軍の士気を高めることになります。それだけではありません、強硬手段に出たフランスに誘拐される危険性も大きい」

クレメンス様の進言は至極まっとうであり、フランツ一世皇帝陛下の心を決めるのに充分だった。

フランスが動き出してしまったのなら、もはや私がクレメンス様に口を挟む余地はない。そもそもあれだけライヒシュタット公のギリシャ王就任に沸いていた王宮が、フランスの革命を知って色褪せたように静まり返ってしまったのだ。

王宮の誰もが、今、ライヒシュタット公を国外に出すことは危険だと感じているのは明らかだった。