「私をメッテルニヒさんの秘書にしてください!」

三日後。予定通り帰宅したメッテルニヒさんに、私は頭を下げて頼み込んでいた。

あれから自分はこの世界でどう生きるべきか三日間考えたのだ。そして出した結論はこれしかなかった。

この世界に飛ばされる前、私はとある貿易会社で社長の第一秘書をしていた。

自分で言うのもなんだけれど、なかなか優秀な秘書だったと思う。

急成長中の会社だったこともあって、毎日忙しかった。スケジュール管理や来客対応、会食から出張の手配などの通常業務の他に、マスコミ対策から取引先への根回しにまで奔走していた。

なぜって、はっきり言ってうちの社長がボンクラだからである。

有能なのは社長以下のトップマネジメントとミドルマネジメント、そして末端で働く社員達。彼らのおかげで会社はメキメキと成長していったのに、肝心の社長ときたら女遊びに現を抜かすばかりで、会議に出ても「どうすればいい?」と私に指示を仰ぐ始末だ。

社長はいわゆる二代目なのだけれど典型的な甘ったれボンボンで、二年前に前社長が急逝し彼が社長の座につくとなったときには、社内中から密かにため息が漏れたものだ。

私は副社長や専務らと連携を取り、もはやお飾り以外の何者でもない社長を必死にコントロールした。いつだってのらりくらりとしているだけの社長に変わって、取引相手を立て関係を良好にしていったのは私だ。お歳暮から結婚記念日まで贈答品の手配は当然、季節の折々には手紙を送り、相手の情報を調べパーティーや会食で顔を合わせる機会も作った。

マスコミへのインタビューも私がすべてシナリオを書いた。それでも社長がベラベラと迂闊なことを喋るものだから、インタビューのあとはいつもマスコミと編集の打ち合わせだった。

社長の尻拭いのための知識を得るために、休日のほとんどを業務に関する勉強に宛てた。世界情勢、外貨、外国為替、経済学、経営学、貿易理論等々。ビジネススクールや講習会に行くため、恋人とのデートを連続二十回キャンセルしたことは反省している。

重役会議では社長を通して意見を尋ねられることも日常茶飯事で、もはや私は秘書というより参謀的存在だったといっても過言じゃないだろう。