「わ……分かりました。もうパルマ公にウィーンに戻って欲しいなどとは言いません。ゾフィー大公妃にもそのようにお伝えします。お約束します」

狼狽しながらもそう誓った私にナイペルク夫人が頷いたとき、馬車がちょうど公館前に到着した。

馬車から降りて一礼する私に、ずっとナイペルク夫人にしがみついて泣いていたパルマ公が顔を上げて言った。

「あの子を……あの子をよろしくお願いします。あの子が健やかに成長するように、お友達としてどうか力になってあげて。それから――『お母様はあなたをとても愛しています』と」

目に涙を浮かべて言ったパルマ公の言葉は、偽りなどではない母の愛に満ちていると感じた。

それが嬉しくて、でも悲しくて。私は滲みそうになった涙をこぶしで拭って、敬礼の姿勢で去っていく馬車を見送った。

パルマ公は冷たい母親なんかじゃなかった。息子を愛する気持ちと過去の傷との板挟みになって、苦しみながら生きている。

(……ウィーンに帰ったらライヒシュタット公にパルマのお話をしてあげよう。あなたのお母様が治めている国はとても素晴らしかった、って。いつか……いつの日にか、一緒にパルマへ行こうって)

ナポレオンが台頭した激動の時代が終わってもなお、爪痕は国家に、人々の心に残り続けている。

オーストリアの宰相秘書官になりヨーロッパの政治の中枢核にいながら、私は自分の役割に初めて疑問を抱き始めていた。

(クレメンス様の考えは正しい。だから今ヨーロッパは平和になっている。でも……そのせいで不幸になっている人がいるのはどうしてなんだろう。……私はただ、秘書官の立場に甘んじて命令に従ってるだけでいいのかな……)

仰いで見た夜空は月が傾き始めていた。二十一世紀の東京よりずっと星がよく見えるその空は、なんだか私に沢山の疑問を投げかけているように感じた。