無邪気な孫と義娘の言うことだから許されるけれど、陛下から賜った行政官の職を辞めてオペラ歌手になれだなんて不敬極まりない話である。
もちろん冗談でも同意する訳にはいかず、私は困り顔で笑う。
「ふたりとも、からかわないでくださいよ」
するとゾフィー大公妃は目をパチクリさせ、「あら、私本気よ!」なんて大真面目に言うものだからライヒシュタット公はますます大笑いし、私達は劇場のロビーに似つかわしくない賑やかさで注目されてしまったのだった。
それからオペラの開演時間になり、ふたりは王室専用のコンパートメント席へと移動していった。
(こうしてるとフツーに若くて仲良しなカップルにしか見えないなあ)
ライヒシュタット公にエスコートされ幸せそうに頬を染めて歩くゾフィー大公妃の横顔を眺めてから、私は観覧席ではなく劇場の奥にある警備室へと向かった。
警備室のドアをノックすると、中から「どうぞ~」とゆるい返事が返ってくる。「失礼します」と挨拶して室内に入ると、ひとりの男性がティーポットにお湯を注いでいるところだった。
「そろそろ来る頃だと思ってましたよ。今お茶を淹れますので、お掛けになってどうぞ」
ひょろりとした細身に時代遅れな長髪姿のこの男性は、セルドニキ警視総監だ。のんびりとした雰囲気に私でも勝てそうなほど細い体躯からはとても信じられないけれど、彼はウィーンの秘密警察を取りまとめるトップであり、クレメンス様から絶大な信頼を得ている人物なのだ。
「おかまいなく、僕はクレメンス様からの書類を届けに来ただけですから」



