すぐ近くの低木の垣根がガサッと音をたて、彼女は驚いて顔を上げる。

いよいよ侍女に捕まり王宮へ連れていかれるのだと身を硬くしたとき、鉛色の雲の切れ間から光が差し込んだ。

彼女の青い瞳に、奇跡が映る。

「……あんた、誰? どうして泣いてるの?」

天からの光を浴びてこちらへ近づいてくる少年は、目を瞠る美しさだった。透けるように白い肌とプラチナ色の髪は触れたら消えてしまいそうなほどはかなく、海色の瞳は魔法が閉じ込められた水晶のように煌いている。

彼女には少年が天使に見えた。自分をこの地獄から救ってくれるため、神が遣わした純白の羽を持つ者だと。

気がつくと、彼女は少年に抱きついていた。少年とは言っても、十六歳の彼女より背は高い。細身でしなやかで逞しいとは言い難いが、彼女を受けとめるには充分な背丈があった。

「私を助けて! ここは嫌、ウィーンなんか嫌い! 私はバイエルンに……故郷に帰りたい……」

しがみつくように抱きついて泣く彼女に、少年はしばらく呆気に取られていた。けれどやがて、手袋越しの長い指が彼女の豊かな黒髪を労わるように撫でだす。

そしておずおずと顔を上げた彼女の涙をそっと指でぬぐい、少年は言った。

「奇遇だね。僕もここが大嫌いだ」

大きく見開いた彼女の目に、花が咲くように綻んだ屈託のない笑顔が映る。

「いつかふたりでここを逃げ出そう」


――花のない高木から、二羽の鳥が光差す天に向かって飛び立った。