「あ、ゲンツさん。クレメンス様を見ませんでしたか?」
「メッテルニヒのやつか? 広間にいないなら……」
そこまで言ってゲンツさんはチラリと階段の方に目を向けた。
「もう寝室にしけこんだんだろ。今夜はリーヴェン夫人が来てたからな」
「リーヴェン夫人……ロシアの英国大使夫人ですか?」
「そうだ。リーヴェン夫人はメッテルニヒにベタ惚れだからな。今頃楽しくやってんだろ」
ゲンツさんの言葉を聞いて胸にモヤッとしたものが広がったのは、やっぱり私が女だからだろうか。
元居た世界と比べて、この時代の既婚者が活発に恋愛やアバンチュールを楽しんでいることは知っている。
そして人脈づくりや情報を引き出すため、政治絡みの異性とベッドを共にするのが珍しくないことも。
それがこの世界の『普通』だとしても嫌悪感が湧いてしまうのは、私に二十一世紀の貞操観念が染みついているからに違いない。



