「もう一曲、いい?」

卒業式は明後日。
彼に会うのもきっと今日が最後。

「ドビュッシーの『月の光』」

秋吉想の名前でCDは出ていないと知り、秋吉映実のCDを探した。
その一枚に、モーツァルト『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ21番』があり、ピアノ演奏者の名前は確かに『秋吉想』だった。
そして同じCDにおまけのような形で、彼が一曲弾いていた。
それがドビュッシーの『月の光』。

すでに廃盤になっていたためリサイクルのサイトを回って250円で購入し、何度か聴いた。
恐らくうまいのだと思う。
コンクールでの受賞歴もあるのだから、その辺の習い事程度ではないはずだ。
だけど、彼の伯母さんのヴァイオリン演奏も含めて、私にとっては“よくあるクラシックBGM”程度にしか感じなかった。
私の感性が足りないのだと思う。
音楽に対する感覚が鈍い自覚はある。
それが将棋ならば別で、トッププロの先生の駒音は、心臓に冷たい刃物を突き付けられたように刺さるのだから。
同じ土俵に立たなければ見えないものはあるのだ。
けれど、もし今目の前であれを聴いたら、全然違う景色が見えるような気がした。

左手に変え、同じように二本ずつ指を動かしていく。
一定のリズムを刻む指の動きは淀みなく、感情の揺れは読み取れなかった。

「先輩」

左手を高速で動かし続けているのに、いつもと変わらない調子で話す。

「将棋、楽しいですか?」

意外と聞かれることの少ない質問に、私も少し考えた。

「うーん……勝てば楽しいよ。負けたら楽しくない」

今度は両手で同じ練習を繰り返しながら、声を立てて笑った。

「勝ち負けが明快な世界はいいですね。かっこいい」

今度は高速で何かの曲を弾き始めた。
音の数が多く、動きが複雑で、手の移動も多い。
きっと難しい曲だろう。
聴いたことのある有名な曲だけど、『月の光』ではない。

「こんなこと言ったら怒るひとがいそうだけど、俺、ただ弾くだけならほとんど苦労したことないんですよね」

ここまでの様子と誇ったところのない声から、事実なのだろうと思う。

「その代わり、褒められたこともほとんどありません。誰が決めたのかわからない高い目標が最初からあって、そこに到達するにはいつも足りなかったから」

プロになるのはゴールではなくスタートで、ゴールはいつも力尽きたところに存在するものだ。
スタート地点にも立っていない私たちは、いつ息をつけるのだろう。