翌朝。

 診察室の手前から、姉弟の小競合いが聞こえてきた。これを聞くと、朝がスタートするって実感する。

「昨日、あれからどうだったの?」
「どうもしない」
「どうもしないって、セッティングしてあげたじゃないのよ」
「おせっかいだ、誰も頼んでいない、アネキが勝手にしたことだ」

 え、なにそれ、あんなに距離が近づいたのに、わりとショック。

「よくもまあ、そういう口が叩けるわね、その口を縫うわよ」
「素人のくせに」

「あったまくる。ねえ、近いんだからタクシーじゃなくて歩いて送ったんでしょ?」
「タクシーに乗せた」

「乗せたって、あなたは?」
「歩いて帰った」

「馬鹿じゃないの、女の子ひとりでタクシーに乗せるなんて馬鹿」
「に、つける薬はないし、注射もないしな」
「よくそうして、口が回るわね」
「頭もよく回る」

 香さんの言う通り。院長ったら負けるが勝ちで、からかわないで負けてあげてってば。

「可愛くないわね」
「男だから可愛いより、かっこよく見られたいからけっこう」

「真剣なんだから、さっきからふざけるんじゃないの」
「ふざけておりません」
「こういうときの敬語が、ふざけてるって言うのよ」
「ふざけていない」

「小さなころは、香ちゃん香ちゃんって、私のあとばっかり、くっついて歩いて凄く可愛かったのに」

 院長が軽くあしらうから、香さんはうんざりしちゃったんじゃないかな。

「いつから、こんなに生意気な子になっちゃったのかしら」
 さらに言葉を続けるも、声のトーンから香さんのがっかりが伝わる。

「もうそろそろ仕事の準備を始めたら? 香ちゃん」

 院長の口から香ちゃん? 嘘でしょ。患畜と子ども以外に、ちゃんづけなんて初めて聞いた。

「馬鹿ね、なにが香ちゃんよ、さて始めましょうっと」
「単純だな」
「なにか言った?」
「いや、なにも」

 香さんに言いすぎたから反省したのかな。

 院長の『香ちゃん』効果は絶大なのね、香さんの機嫌がコロッと直った。

 お姉さんの操縦を知っている下の子って感じ。こういうところが、下の子の憎めないところなのかな。

 もう終わったな。だんだん小競合いが終わるタイミングがわかってきた。

「おはようございます。昨日はありがとうございます、ごちそうさまです」

「おはよう。昨日はひとりでタクシーに乗せられちゃったんですって? ごめんなさいね、この子、気が利かなくて」

 香さんが視線は私に向けて、人差し指は院長に向ける。

「おはよう。昨日は遅くまで付き合わせて悪かった」

「なにやってるの、謝って済む問題じゃないわよ。遅くまで連れ回したのね」

「人聞きが悪い」

「こちらこそ、大変お世話になりました。楽しかったです、ありがとうございます」
「ああ」

 急に目を左下にそらして、ぶっきらぼうな返事になっちゃった。