「姓のない、お客様」


「……」


古来より、父の名を知らないものは禽獣とされている。


翠蓮も事実、知らないことになるが……父様のおかげで、それは避けられている。


いや、本当の父親が分かったとしても、翠蓮にとっての父親は、淑鳳雲ただ一人だ。


そんな風習のある中で、その佳音という女性は不思議と禽獣であると蔑まれることも無く、普通の生活を送っていたそうだ。


それもこれも全て、見知らぬ世界から来た人間に与えられた特権だったらしく、彼女は先々帝の大勢いる妻たちのひとりとなって、安寧に暮らしていたらしい。


自らのしたいことに従って……そして。


「佳音は、不思議な女でした。簡単に人を魅了してしまい、一度研究を始めると、一歩も部屋から出てこない」


「……」


「あなたに、少し似ているかもしれませんね。人を病から救っては感謝され、楽しそうにしていましたよ。一人娘を、失うまでは」


「一人娘?」


蝶雪は爪紅を翠蓮の指に施しながら、聞き返す。


「はい。ちょうど、今から、十二、三年前ですね。彼女の一人娘が、姿を消しました。当時、三歳ほどだったかと」


「ということは、今、十五、六歳……」


「その後は失った心の傷を埋めるように研究に没頭していき、何があったのか、革命軍が乗り込んできた日に、先帝の寝所の手前……書斎で斬り殺されていたと」


「……」


「恐らく、乱心した先帝によるものだと言われ、丁重に葬られましたわ。瑞鳳殿の一角に」


「瑞鳳殿……」


「陛下にお願いして、行ってみてはいかがですか?」


紅翹がそう言って話を終えた時、蝶雪の方も爪化粧を終えたようで、


「どうなさいますか、翠蓮様」


と、翠蓮の意志を仰ぐ。