「もしもし」

 長い距離を走ったわけでもないのに、息が乱れる。ふと見た鏡に映った自分の唇が濡れて光る。耐えられなほど恥ずかしい。

 誰よ、こんなときに……じゃなかった。ありがとう、流される私を助けてくれて。

 ふうと息を吐いた瞬間向こうから声が聞こえてくる。社長はこっちをにらむように見ていた。

『おーい、俺だよ。元気にしてるかー?』

「おれ……?」

 電波の状態が悪いのか、雑音が混じった聞き取りにくい声に眉を顰める。

 特殊詐欺の一種かしら。ただのいたずらかも。顔から離した携帯に表示されるのは、『非通知』の文字。

 通話を終えてしまおうと、指を出した。

『俺がわからないのか、美羽。お父さんだぴょーん』

 だぴょーん……?

 とっても古い感じの語尾。聞き取りにくいけど、これは間違いない。この空気を読まないお調子者は、お父さんだ!

「お父さん‼」

 怒鳴った私を、社長が驚いたように見つめる。私は通話をスピーカーモードに切り替えた。

「お父さん、今どこにいるのよ! お父さんのせいで、こっちは大変なんだからね!」

『ええー? なんだよ久しぶりなのに。どうしたんだよう』